NOVEL「闇が滲む朝に」第9回・人は苦しみを経験するために現実社会に来ている

 片山二郎はツキノワグマビルで清掃の仕事に就いた。慣れない仕事で疲労する毎日だったが、時折、ビルから見る青い空や富士山を見る時がほっとする瞬間だった。
 片山は中学時代の帰宅途中で自転車から転倒した瞬間に、自分が自分から抜け出す経験をしたが、そんな感覚が蘇ってくるのだった。この不思議な感覚は社会に出て以降も何度か経験していた。

「高戸さん、元気?」
 テーブルの隅に座っていた井田やすこが高戸に声をかけた。
「お疲れさん、井田さん早いね」
 高戸がロッカーのドアを開け着替えを取り出し構わずに作業着を脱ぎ始める。
「そろそろ暑くなりそうだね」
 井田が椅子に座ったまま言った。

「最近は本当に暑くなるのが早いから。夏は嫌だね」
「本当だね。歩くだけでも暑いのに。ビルの中もクーラーが効いていりゃいいけどなあ」
 高戸がシャツ一枚になった。
「高戸さん、お疲れです。適当にあがってください。明日は八時から食堂の清掃だから」
「食堂ももう暑いだろうから少しクーラーかけるようにするから」
 矢野がたばこの箱を軽く机にあてながら言った。

「助かるよ。もう動くと汗が結構出てくるからなあ。それじゃ失礼するよ」
 高戸はタイムカードを押すと事務所を出た。
「明日はいつもより時間も遅いスタートだから。かたやまちゃんもゆっくり出てきて。午後2時には終わるから」
 矢野は再び自分の席に座った。
 
 今週の土曜日はツキノワグマビルの社員食堂の定期清掃だ。食堂の清掃ではポリシャーで床を洗浄しモップで拭き、かっぱぎでポリシャーで洗浄した汚水を集める。次に汚水が集まった所で大型のバキュームを稼働させ全部の水を吸い取る。その後はモップがけし、最後にワックスを塗り終了となる。片山はこの作業でかっぱぎとバキュームを担当している。天気のよい日は七階の食堂から富士山を眺めることができた。晴天の空に浮かぶ富士山は本当に近い。
 
 片山はフリーター清掃マンとして、朝と夜と土曜日にハイクリーンで仕事をし、昼はアイ・クリーンサービスで仕事をしているが、昼も十二階建ての高層ビルで働いていることから、よく空を見る機会があった。青い空を眺めることが唯一、気が休まる瞬間だといつも片山は思う。この瞬間に自分が何度か空に溶け込んでしまうような感覚になることがあったのだ。
 
 この感覚は今まで何度か経験したが、そのたびに何か全く現実の生活では感じられない穏やかな空間に自分が入ることを自覚したのだ。その異次元体験は片山が十四歳の中学の夏の初め、自転車で下校途中に転倒し自転車から一回転して落ちた時に経験した出来事から始まった。片山はその時、右の鎖骨を骨折するという怪我を負った。驚いて病院に駆け付けた母親が開開口一番に、言った言葉を今も忘れない。

「突然に持っていた皿が私の手から飛び跳ねるように落ちたんや。それから数十秒後に二郎の学校から怪我したって連絡が入ったんや」
 この時、片山は自転車から落ちた時、自分が自分から抜け出したような感覚になったことも忘れないでいた。この時を契機に社会に出て以降も、何か平和は日常ではない、病気や辛い経験をするたび、何かが自分におこるたびにから、自分が異次元にいるような、また誰かが自分のそばにいるような経験を何度かしたが、四十代で決定的にその存在を確認するまで、自分は本当は何者かという問いかけがいつも心の片隅に残っていたのだ。その感覚は苦しい経験をすればする程、自分の中で醸成されるものだった。
 
 人はこの世に楽しみに来ているのではなく、本当は苦しみに来ている。生まれる時は笑顔ではなく、この世界での苦しみを予感するかのように泣きながら生まれてくる。苦しみを経験することで自分が得るものを予期しているかのように。だから、現実社会でこの苦しみを受け入れた時、全ての苦しいと感じる自我はなくなり、空白のような感覚になるのかも知れない。そして自分の空白の感覚は自分の本来の存在を無限に拡大させることにつながるのだ。
 
 清掃という人から尊敬される筈だが、決して尊敬されない仕事に就き、毎日の長時間労働で苦しい生活が続く中で、片山はある思いを強くさせていった。自分は常に何か無限の偉大な存在に守られていると。
「じゃあ、そろそろ引き上げるよ。あんまり無理しねぇで」
矢野が片山に声をかけた。いつも矢野は「無理はするな」と片山を気遣ってくれる。仕事では気性の粗さが嫌になる時があるが、三十代には見えない老獪さのようなものを矢野は身につけていた。それは彼のこれまでの経験がそうさせている。

「お疲れさんでした」
 片山は矢野が事務所を出ていったのを見届けると、さっそく所定の位置まで掃除機を取りに行き、一階のフロアを掃除し始めた。もう三十分もすれば夜掃のメンバーが事務所にやってくる。片山はそのメンバーよりも一時間早く入り仕事を始めるのだ。廊下で掃除機をかけていると、株式会社ツキノワグマの事務職の西井明子が歩いてきた。

「お疲れさまです」
 片山と二十歳ほど年の離れている明子は片山にとっては娘みたいなものだった。いつのまにか自分も五十歳を越える年になったと気付くのは、明子のように若い世代の人たちとすれ違う時だ。一人で生活していると、いつまでも精神的には年をとらないが、年下の人と話していると自分がいつのまにか、いい年になっていることに気付く。相手が幼く見えるのだ。
 
 それは生身の人間が、ただ生身の人間を相手にして感じる感覚だった。今の自分は決して他人から尊敬され褒められるような生活はしていない。しかし、卑屈になってもいけないのだ。自分が落ち込むたびに自分は自分、他人がどう思おうと関係ない、と片山は自分を鼓舞していた。

 

 

 

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