小説「海に沈む空のように」第5回 人間が背負う不運という罪

 中井浩二の父親である亨は自宅に引き込もりがちになり、うつ病を患うようになっていた。まだ高校に在学していた頃は、息子の浩二にとって祖母にあたる康子は明るい婆さんだった。それがある時期から康子の日ごろの行動に変化がみられるようになっていったのだ。
 まさか、自分の父親が、認知症とはいえ実の母親を殺害することなど考えたことがなかった。それまで信用金庫に勤務してきた亨は堅実な人生を過ごしてきた。しかし、突然に闇が襲った。
 自分が定年まじかになって母親の介護に時間を費やすことが増えていった。根が真面目な亨はなるべく妻の紀子に迷惑をかけたくないという気持ちが強かった。日を追うごとに亨の疲労は蓄積していくばかりだった。
 今年の1月に家出した父の捜索願いを出していた立川警察署の刑事から連絡を受けた浩二と母親の紀子は、遺体安置所に出向いた。横たわっていた人物の顔を確認した時、緊張からか思わず浩二は嗚咽した。緊張で心臓の鼓動が高まり身体が震えた。
 しかし紀子に涙はなかった。目の前に眠っている人物は父ではなかったのだ。似てはいたが他人だと浩二にも分かった。その時のやつれた紀子の顔だけが今も浩二の脳裏に焼き付いている。
 他人だったとはいえ浩二は、目の前の遺体が何かを訴えているような気がした。苦渋に満ちた顔面の傷跡が目の前の人物の最後を想像させた。また、父親が何かの事件に巻き込まれ死んだということも想像できなかった。まだ、どこかで生きているに違いない。しかし、人の人生など分からないものだ。何がきっかけで闇に落ちてしまうかなど分からない。
 警察を出た浩二は紀子の先を歩きながら、ふと先日に見たテレビのニュースを思い出した。ニュースでは1週間ほど前に大阪で発生した古ぼけたアパート火災の住人たちの素顔を追いかけていた。古いアパートには部屋が20室ほどあった。出火当時、このアパートには10人が入居し、そのほとんどの8人が焼け死んだという。
 なぜ、浩二がこのニュースに関心を持ったのか。もしかしたら、ここの住人の中に父親が住んでいるかも知れないと思ったからだ。しかし、父親らしき写真はニュースでは放送されることはなかった。家賃が2万円ほどのアパートには、もう次がないというような人々たちばかりが住んでいた。
 
 知り合いの仕事の保証人になり、仕事が失敗して借金を返済するため、離婚し家族を捨て借金返済に人生を賭けた人もいた。ニュースではその人物は借金を1年前に返済したと報道していた。その矢先に火事は発生したのだ。本当にその人物が借金を完済し終えた翌年に火事で焼死してしまったとしたら、どうその人の人生を説明すればいいのだろうかと浩二は思う。住人が火を点けたことだって十分に考えられるのだ。
 不運は不運を呼んでしまうのだろうか。それとも人の罪には計り知れないものがあるのだろうか。苦しんで苦しんでもたりない重い罪を背負ってこの人生を生きなければいけない人は多いのだろうか。
 自分の父親が犯した犯罪はそれと同じように、重い罪になるのか。そう思いながら、気が付くといつのまにか浩二は紀子の後方数メートル後を歩いていた。母親の後ろ姿が、こんなにみずぼらしく見えたことは今までにはなかった。
 *
 志賀昭雄は未だ墓に納骨することのできない父親と妹の亡骸を前に呆然と立ちすくむだけだった。夕方から都内のスタジオに行き仲間にライブを中止せざるを得ない状況となったことを謝るつもりでいる。
 昭雄は学生時代から組んでいるバンドにギター担当として参加していた。プロにはなれなかったが、今も音楽活動を続けたいと考えている仲間が集まってバンド「レインボー」を結成、土曜日や日曜日にボランティアでコンサートを開いている。
 土曜日は都内のライブハウスで同業者が集まるコンサートに参加、日曜日は関東周辺の老人ホームなどでコンサートを開く。アマチュアバンドとはいえ、ライブを開く以上、練習を怠ることはできない。
 昭雄は1週間に1度から多い日は3度、会社の仕事が終了後、仲間が集まるスタジオで夕方6時から11時まで練習していた。時には、そのままスタジオに泊まり込み、翌日の午後からライブ会場で演奏をすることも多かった。
 アマチュアバンドとはいえ、人前で音楽を披露する以上はミスは許されないのだ。その分、練習や演奏には時間とお金を投資せざるを得ない。楽器を運ぶには車が必要になり、自宅からコンサート会場が遠い時は前日に、会場近くのホテルに泊まる。お客からお金を貰うのではなく、自分でお金を払う。とにかくお金がかかるのだ。それも好きだからこそできる活動だった。
 曲はオリジナルもあるがコピーが多く、主に昭雄が学生時代に聴いたフュージョンやニューミュージック、現在のJPOPが多かった。メンバーは曲が決まると、各人の担当するギターのパートの楽譜を作成する。最近はパソコンが普及しているから、ソフトさえあれば曲も一人で作ろうと思えばできてしまう。
 楽譜を作ることも以前に比較し楽になっている。とはいえ、曲が決まれば平日に仕事が終わってから自宅で深夜遅くまで楽譜作りは続けられる。睡眠時間も短くなる。翌日には眠いままギターを抱え早めの電車に乗る。満員電車ではギターを運ぶことができないからだ。
 だから昭雄も「ヒューネクスト」での仕事は営業マンらしく早く出勤していた。ただ、この趣味が家族サービスを疎かにしていたことは否定できない。妻の時子はまだ娘の陽花が生まれる前は、よくコンサートに来ていたが、陽花が生まれて以降はほとんど来ることもなくなっていた。
 月に1度、コンサートを開かないオフの日が家族サービスの日でもあった。時子はたまに不満を言ったが、昭雄にも自分が、なぜそこまでして音楽を続けるのか分からないでいたが。まだ、どこかで自分たちは夢を見ているのだろうとバンド仲間と話し合うことはあった。
 メンバーはボーカルとキーボードを担当する春山幸子以外は昭雄と同年代だ。皆、自分が勤務する企業では決して出世はしていないが、今もリストラされることなく会社に籍を置いている。
 音楽をやる人間には一般的な価値観とは違った価値観を持っている人間も多いが、昭雄たちはどちらかというと、一般的な価値観を持ち会社に勤務するサラリーマンたちだった。そう、自分も一般的な人間に過ぎない。むしろ、大手企業に勤め音楽を趣味にしていることなど贅沢というものだろうと思っていた。つい最近まではそう考えていた。
 しかし、その生活が一変する出来事が起こったのだ。自分でもどう納得すればいいのか、まだ気持の整理はつかない。順調だった人生が音を立てて崩れたのだ。しかもそれは自分の失敗ではなく、家族という、あまりにも近すぎる存在にだ。
 昭雄は夕方、三鷹の家を出ると中央線で東京方面行きの電車に乗った。夕方5時過ぎの車内は学生たちで混んでいる。昭雄は立ったままポケットからスマートホンを取り出した。下中央のボタンを押し、ロック解除する。
 次に暗証番号を押すと、画面下のメールアプリに触れる。まず、スマホを開いたらメールを確認することは決まっていた。いくつか新しいメールが届いていた。メールは通信販売会社からのギターの新商品の案内と、フィージョングループ「スカイチェック」の新譜の告知だった。
 中野駅で学生たちが降車したので、昭雄は空いた席に座った。ショルダーバッグを膝の上に乗せ目を閉じた。新宿駅に着くと山手線に乗り換え恵比寿駅に向かった。山手線は既に帰宅ラッシュが始まろうとしていた。昭雄は目を閉じたまま、つり革を握った。つり革広告の中には週刊誌の広告が出ていることを知っていたが、敢えて広告は見ないと決めていた。
 しばらくして恵比寿駅で降りると、昭雄は人込みをかきわけるように小走りに歩きながら、階段を下り改札を出た。いつも行くスタジオの近くの喫茶店「サンシャイン」にはバンド仲間の戸田典夫と春山こずえが待っていた。

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