「海に沈む空のように」第9回  壊れる世界を生きる

「高層ビルなんかでも建築に関わる人は大勢いるけど、あれも危ないよね。あんな髙い場所で結構、長い期間に渡って作業しなきゃいけないんだから。ちょっと足場を踏み外したら命を落としてしまう、命懸けだよね」
 時田が喫茶店の窓を眺めた。普段、何気なく見ている窓一つでも、汚れを清掃している人たちがいる。日頃、気づかないが窓はいつも綺麗に保たれているのだ。
「なんて言うんですかね。指一本、怪我しただけでも仕事できなくなってしまうんですよ」
 浩二がナポリタンを口にする。
「清掃の仕事って一見、簡単に見えるけど。ほんの少しのミスで滑って転倒して頭を怪我したり、腰を痛めたり。足のまめ一つできても痛くて仕事の効率が悪くなっちゃうんです」
 浩二の話を時田は関心深く聞いた。
「家庭も変な出来事があると、全てが壊れてしまうっていうか。自分の場合、大きな出来事だったから、なおさら」
 浩二が途中で話しをやめた。
「壊れやすいよね人は。生きていると本当に辛いことが多い」
 時田がポツリと言った。浩二が納得した表情を見せる。
「壊れるばかりなんだよ。たぶん」
「壊れるばかり・・・ですか?」
 浩二が時田の顔を見た。
「辛いでしょう。朝、起きて仕事に行くの」
 時田が窓の外を眺めながら何気なく言った。
「ええ。もう疲れて嫌になることも多いっすから」
 浩二が水を飲んだ。
「普通に歩いているだけでも人間は相当に無理しているから」
「歩く?」
「そう。だって元々は足で立って歩いていなかったから」
 浩二は時田が突然に話を変えたことに少し驚いた。
「だから二足歩行で普通に生きるだけでもしんどいんだよね。ヒトって、死ぬために生きるようなもんだよ」
「死ぬために生きる・・・ですか」
 何か時田の哲学的な話に浩二は意外な気がした。
「地獄だよ。この世界は。事件を取材する機会が多いからね。本当にそう思う」
 時田の話に浩二は聞き入った。
「戦争なんか終わっていないんだね。たぶん。っていうか。殺し合いをしなきゃ生き残っていけないんだよ、ヒトって」
 時田が声を低くした。
「清掃の仕事をしているから気がつくと思うけど。汚くするでしょうヒトは何でも」
 時田が浩二の顔を見た。
「そうですね。自分はゴミ回収や一般清掃もやってきているからよく分かります」
「こんな言い方はよくないかも知れないけど。穢れた存在なんだよ。どこか」
「穢れ・・・ですか」
「そう。常に他者を殺し汚す穢れた存在・・・だから、今、世界中で起こっている戦争や悲惨なテロ・・・そして災害による被害は悲しい出来事だけど。何か天罰が下っているような気がしてならない」
「天罰・・・・ですか」
「地球の温暖化だって30 年も前から問題視されてきたのに何の改善もされずに、ここまできてしまった。東北の地震であれだけの被害が発生したにもかかわらず原発を完全に停止することもしない・・・・」
「・・・・・」
 浩二は黙ったまま頷いた。
「この世界は破滅に満ちているんだけど同じように一番、身近な家庭、家族という社会でさえ、すぐに壊れてしまうものなんだ」
「・・・・・・」
「だから、辛く苦しいことが多いけど。その感情も当然といえば当然なんだ。激しい競争と破滅の中を我々は生きなきゃいけないから」
 浩二は再度、頷いた。
「お父さんの名前は何って言うの?」
 時田が聞いた。
「亨です」
「とおる?」
「ウ冠の亮です。柳川亮」
 浩二の声を聞きながら時田はメモ帳に名前を書き見せた。
「はい、そうです」
「何か分かったら連絡するよ」
「よろしくお願いします」
 浩二が頭を下げると同時に時田が席を立った。
「ここはいいから」
 時田がレシートを手にした。
 喫茶店を出ると二人は荻窪駅の方に歩きだした。
「明日は早いの?」
 時田が聞いた。
「ええ。いつも平日は朝の六時には現場に入るから。時田さんは何時からですか」
「明日は比較的、ゆっくりでいいね。雑誌の発売日だから」
「発売日ですか」
「そう。『週刊真実』は毎週水曜日が発売だから」
「今週は面白い記事とかありますか」
 浩二が興味津津で聞いた。
「さあ、どうだろう。今週はタレントの離婚騒動がメインじゃないかな」
「タレントの離婚・・・ですか」
「お父さんのこと、これからも探すよね」
 時田が話を変えた。
「ええ。できれば探したいと思っています」
 浩二の声が幾分か小さくなった。
「こちらでもあたって見るよ、何か手掛かりがみつかるかも知れない」
「よろしくお願いします」
 浩二が頭を下げた。
「予算面は気にしないでいいから」
 時田が浩二の心配を振り払うようにはっきりと言った。
「でも、そういうわけにも」
 浩二の心配げな表情に時田が頷いた。
「いいさ、気にしないでいいよ。見つかるかどうかは約束はできないから、あまり期待はしないでほしいけど」
「いろいろ、すみません」
「忙しいようだけど、あまり無理はしないようにしないとな」
 時田は荻窪駅の改札に入ると東京方面のホームに向かった。

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