路上記13 困難に挑み続けた登山家の栗城史多さん、勇気をありがとう

 5月21日の午後3時過ぎのことでした。夕方から入る仕事場に行くため、地元の自宅近くの駅に着いた時でした。いつも通り電車を降り、ホームから階段を降り改札を出ました。外に出て歩きながら何気なくスマートホンに電話の着信がないかを確認しました。スマートホンではいつも新しいニュースが入ると表示されるようになっています。歩きながらだから、ニュースは余程に驚くような出来事ではない限り、立ち止まって確認することはありません。
 しかし、この日は立ち止まり、思わず表示されているニュースをクリックしました。「登山家の栗城史多さん、エベレスト登山中に死亡」とニュースは報じていたのです。一瞬、自分の目を疑いました。あの栗城さんが死んだ・・・・。まさか、と思いました。登山家の栗城史多さん(35歳)がエベレスト登山中に死亡した?しばらく、そのニュースを信じられませんでした。
 栗城さんはこれまでマッキンリー(北米)、キリマンジェロ(アフリカ)など6大陸最高峰の登頂に成功してきました。ただ、無酸素単独行で挑み続けていたエベレスト登頂には、7度挑戦してきましたが、いずれも成功しませんでした。2012年の4度目の挑戦では凍傷で両手の指9本を失うという状況にもなってしまいました。通常なら、この時点で登山は諦める筈ですが、その後も3度も挑戦し、今年の4度目の挑戦中に体調が悪くなり下山途中に死亡したのです。標高7400メートル付近で体調不良となり、キャンプで休止すると連絡した後、下山中に意識を失い100メートル~200メートル滑落してしまったのです。
 また「冒険の共有」をテーマに映像機を自らが持ち、自分の登山を撮影しながらインターネットで放送し続けてきた登山家で、その手法はこれまでにないものと注目され続けました。今回のエベレスト登頂でも敢えて困難なルートを選んで登頂に挑みました。
 個人の意見としては、エベレスト7度目の登頂を断念した時点で、もう登山からは撤退してほしかった。指を失ったことで新たな人生に挑戦してほしかった。何よりもまだ、他界するには早すぎる年齢でした。栗城さんなら違う人生を選んでも、また、多くの人々を勇気づけることができたと感じています。
 でも、やはり彼は登山家でした。「なぜ困難に挑めるのか、それは勇気があるからなんです」と話し続けてきた栗城さんは、まさに困難や挫折を恐れない勇気ある人間でした。「勇気」という言葉は最初の著書のタイトルにも使われました。その「一歩を超える勇気」(サンマーク出版)でも書いていますが、17歳の時に他界した母親との約束である「一生懸命を生きる」を実践してきた人物だといえます。
 そして、栗城さんの残した登山の実績、困難に挑み続けた姿、映像や肉声、本は永遠に多くの人々を勇気づけることは間違いありません。栗城史多さん、本当に多くの勇気をありがとうございました。

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