「海に沈む空のように」第18回 昭雄に福井で広がる意外な人の輪

 土曜日の午後六時、志賀昭雄は井田から指定された駅近くの居酒屋「兆屋」に着いた。既に井田は奥の席で待っていた。隣には一人の女性が同席していた。
「あ、先日はどうも。お疲れの土曜日に悪いね。わざわざ」
 井田は昭雄の姿を入口付近に見つけると大きな声を出した。店内は土曜日とあってかさほど混んではいない。
「こんにちは」
 昭雄は挨拶すると奥の席に座った。
「こちらが高田花子さん」
「井田です」
 昭雄は再度、頭を下げた。
「今日は休みですか」
 井田がさっそく聞いてきた。
「ええ、土日は休みです」
 少し急いできた昭雄が深呼吸した。
「あ、志賀さん、急いで来たね。リラックスしてリラックス」
 井田が少し緊張気味の昭雄を見て笑った。
「ビールにしますか。花田さんもビールでいい?」
 井田が傍らのボタンを押した。
「土曜日のこの時間帯は比較的、くつろいでいることが多いから」
 井田が運ばれてきた生ビールを昭雄と花子の前に置いた。
「じゃあ、乾杯。ここは魚がうまいから。井田さんは刺身は大丈夫ですか。とにかく福井は魚がうまいからね」
「ええ。本当ですね。こちらにきて魚を食べる機会が増えました」
「ほうでしょう。エビやイカ、マグロ、タイ、冬はセイコガニとエチゼンガニ・・・なんでもうまいからね。花ちゃんも刺身が好きやから」
 隣の花子が頷きながら笑った。
「じゃあ、刺身の盛り合わせとホッケ、タイの頭、あとは野菜なんかもいいかな」
 井田が花子にメニューを渡した。
「好きなもん頼んで」
「あ、はい・・・・」
 花子がメニューを眺める。
「花ちゃんは本当はカクテルとかがええんやろ」
 井田が笑う。
「なんていうんかな、今はビール離れが進んでいるんやなあ。志賀さんなんかもビール世代かの。我々は完全にビール世代やから。今はビールでも安いビールもあるし、缶ビールやと新ジャンルやったか。皆、家ではあれを買う人が増えているね。スーパーなんか行くと新ジャンルの方が目立つわなあ」
 井田が場を盛り上げようと少しまくしたてるように言う。
「志賀さんは毎日、酒は飲む方ですか」
「ええ。普通ですかね。家では缶ビール一本は毎日、開けますよ」
「ほうですか。花ちゃんは?」
井田が花子の方を向いた。
「外では飲みますけど、家じゃあまり飲まない方です。でも飲み会は好きだから」
「ま、酒はほどほどがええ。あまり、飲み過ぎてもね」
 メニューが次々に運ばれて来た。
「さ、食べて」
「わーおいしそうですね」
 花子が刺身の盛り合わせを見て口にした。
「志賀さんは今年の春に東京から来たばかりやからね」
 井田が花子に説明する。
「そうですか」
「お仕事かなんかですか」
 花子が聞いた。
「ヒューネクストの人や。花ちゃん知ってるやろ」
「へーそうですか。知っています。有名な会社ですもんね。すごいな」
 花子がビールの入ったコップのへりを軽く拭いた。
「いえいえたいしたことはないです。高田さんは仕事しているんですか」
「ええ。社員食堂で働いています」
「社員食堂ですか」
「花ちゃんは今、武山製作所の社員食堂で仕事しているんやろ」
 井田が確認する。
「そう。鯖江市内の製作所です」
「武山製作所ですか。大きい会社だから知っています」
 昭雄がエビを口にする。
「武山製作所は福井県下ではなくてはならん会社です。本社は京都やけど。大きな会社やからね」
 井田が花子に代わって話し出した。
「そうですね。確か電子部品会社では業界三位か四位ですよね」
 昭雄が相槌を打つ。
「さすがや、よう知ってはる」
 井田の隣で花子も頷いた。
「今は鯖江市内に住んでいるんですか」
 昭雄が花子に聞く。
「福井市内から通っています。鯖江市内に住もうか迷ったんですけど。何かと福井市内にいた方が便利かなって思って」
「花ちゃんはマラソンやっているから。市内のクラブに入っているんやろ」
 井田がうれしそうに言う。
「ええ、二年前に始めたんですけど。一人で走っているよりも誰か他の人と走っていた方が上達も早いって聞いて」
「マラソンですか。だから顔色がいいんですね」
「そうですか。走っている人ってわかるっていいますよね。顔色が違うから」
 花子が自分で言いながら頷いた。
「結構、練習で走るんやろ。今日も走ってきたんやろ」
 二杯目のビールを飲み終えた井田がうれしそうな表情を見せた。
「今日も朝、六時から足羽川沿いを三時間ほど走ってきました」
「そんなに・・・ですか」
 昭雄が少し驚いた表情を見せた。
「三時間って何キロほど走るの」
 井田がメニューを見ながら聞いた。
「今日は二十キロ走をやりました。あとは短距離走とかですね」
「クラブの人たちと一緒にですか」
 昭雄がウーロン杯を口にした。
「ええ。土曜日はクラブ活動です」
花子が冗談交じりに言った。
 「何人くらいいるの、クラブの人たち」
井田が傍らのボタンを押した。
「今は十五人ほどですか」
 花子が思い出すように言った。
「結構、いるんだね」
「ええ。二十代から五十代まで年齢層は幅広いですよ」
「マラソンって四十二・二キロでしょう。結構、大変だよな」
 井田がぽつりと口にした。
「まだ私なんかフルマラソンを走るのに四時間半はかかるから。そんなに早くはないから」
「目標はどれ位なの」
 井田が聞く。
「できれば四時間を切りたいんですけど。まだまだですね」「一人暮らしのようだけど、たまに実家にも帰ったりするの?」
 昭雄が話を変えた。
「いえ、私、家族はいないから。おじいちゃんとかおばあちゃんの家に行くのも気が引けるし」
 花子の返事に昭雄は驚いた。
「花ちゃんのお父さんもお母さんも五年前に他界したから。だから今、一人暮らし」
 井田が焼酎割りのコップをテーブルに置きながら真剣な表情を見せた。花子ら家族四人は十年前に家族全員で車で大阪に旅行中の帰り、北陸自動車道で反対車線からトラックに衝突された。父親と母親、そして弟が即死したのだ。偶然に花子だけが生き残ったのである。
 井田は三年前に東尋坊でうろついている花子を見かけた。それから花子と会うようになった。仕事を紹介したのは井田本人だった。花子が東尋坊をさまよっている時に会った花子を娘のように思っていた。同じように交通事故で他界した自分の息子の武司が帰ってきたような気になったのである。十二年前の七月、武司は大学からの帰途、歩道に突っ込んできた車にはねられ即死したのだった。車を運転していた大下徹は交差点を左折する際に歩道に乗り上げ通行中の約十人をはねた。はねられたのは十代から四十代の男女七人だった。七人中の男子二人が死亡した。トラック運転手の原田弘は脱法ハーブ中毒者で、危険運転致死傷罪として懲役二十年が課せられた。
 当時、福井県警捜査二課の警部だった井田は一人息子の死を長く受け入れることができないでいた。原田が働いていた運送会社を捜査したほか、自分のこれまで挙げてきた事件に原田が関係する事項がなかったかを調べ尽くした。しかし、思いあたる節は見つからなかった。息子の武司を追うように、妻の秋江が肺がんを発病し死去したのは、事故から三年が経過した頃だ。
井田は自分の不甲斐なさを責めた。どう自分の生きざまを理解したらいいのか分からない日々が続いた。もう刑事という仕事は辞めるべきだと何度、辞表を書いただろうか。

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