路上記19「広島、岡山などを襲った災害と闘う勇敢な人々」

 7月6日から広島県や岡山県、愛媛県などで集中的に降り続けた西日本豪雨は、平成で最悪の被害をもたらしました。NHKによると15日現在、広島県呉市などの12自治体で65人、岡山県倉敷市真備町で59人となり西日本地区で合計206人が死亡。全体の土砂崩れは619か所、住宅浸水1万4000戸となりました。
 たった2時間で家の2階まで水が浸水してしまう、たった3分で駐車場が水に埋まってしまい肉眼で確認できるのが車の屋根だけになってしまう。そして村がある日、突然に消えてしまうという現実をどう受け入れていいでしょうか。数分前まで元気だった父親が土砂の下敷きになってしまう。いくら本人の名前を呼んでも返事はないのです。あれだけ大好きだった自然豊かな村が、ある日、突然に牙をむいた熊のような表情に変貌してしまったのです。ほんの数分で豪雨に沈む村や家や車をどれだけ現実として捉えることができたでしょうか。
 避難者は2万人を超え、今日現在も5000人が避難を余儀なくされています。水は断水で1週間、お風呂に入れない状態です。おそらく睡眠はとれない方がほとんどで、その上、35度以上の猛暑日が続いているのです。このような状況下で生活しなければいけない方々に、どうお見舞い申し上げていいのか、言葉がみつかりません。そこには絶望と嘆きと苦しみしかないと思うからです。おそらく、被害の程度の差こそあれ、大切なものを突然に喪失してしまったという現実は、7年前の東日本大震災で被災された方々と変わらないと思うのです。
 暑い、暑い夏に起こった地獄の悲劇・・・・・どうしても忘れられない出来事があります。1985年8月12日、日本はお盆の前日も猛暑でした。人々が真昼の暑さから少し解放しかけた18時40分に日本航空123便が、後部圧力隔壁の破損などが原因で群馬県の御巣鷹山上空に墜落したのです。乗客は524人でそのうち520人が死亡、奇跡的に4人が生き残りました。その中の一人、川上慶子さん(当時12歳)は同乗していた両親と妹が死亡、以降、お兄さんと二人で辛い人生を生き始めたのです。現在、川上さんはりっぱになられ、お母さんの意志を継ぎ同じ看護士として働いています。結婚もされ2児の母親でもあります。
 今も自衛隊員に抱えられ救助のヘリコプターに、上空を舞いながらロープで運ばれる慶子さんの姿が脳裏から離れません。そして慶子さんは自らが墜落事故に遭遇しただけでなく、若干12歳で両親を失うという辛い現実に負けることなく家族の分も精一杯、生きてこられたのです。
 日航機墜落事故でも、東日本大震災でも、そして、今回の西日本地区の豪雨被害でも多くの自衛隊員が救助活動に注力しています。これら自衛隊の活動については、「兵士は起つ 自衛隊史上最大の作戦」(杉山隆男著、新潮文庫)に、東日本大震災で救出活動にあたった自衛隊員たちの姿が詳細にまとめられています。高さ10メートルの津波が押し寄せるなか、寒さと濁流の激しさの中で、心臓の鼓動と過呼吸で自分は死ぬのではないかと自問自答しながら救出活動した隊員たち。パラシュート降下、山間部での救出活動など過酷なレンジャー部隊の訓練でも最も優秀な成績を収めた隊員たちが救出にあたりました。
 メディック=救難員にあたっては、どんなに厳しい状況にあっても、自らが生き残り、他者を生かす、ということが使命として課せられているのです。だからメディックには、強靭な肉体と精神だけでなく、極限を生き抜く力も要求されるというのです。どんな状況にあっても必死で救助を続ける隊員たちの心情を無駄にはできません。
 そして何よりも、今も多くの困難と闘う現地の勇敢な被災者の方々が、一日も早く安堵できるよう、復旧されることを願ってやみません。

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