「海に沈む空のように」第20回 原発の闇と父と妹の軋轢

「時田さんはあの記事の中で優子が、父を恨んでいるのではないかという内容の記事を書かれていました。自分はなぜ、父が優子を殺害したのか分からないでいました。父は退官後に軽いうつ病を発していたので、原因はそこにあったのかと感じていました。しかし、時田さんの記事を拝見して、そんなことがあったのかと。優子は父の担当した裁判を冤罪事件と知り、その事件が父の手で覆されなかったことに絶望した・・・。本当に父を恨んでいたのか知りたかったんです」
時田がしばらく間をおいてから話し出した。
「自分があの記事を書くべきかを当初は悩みましたが、偶然に優子さんには何度かお会いする機会がありました。優子さんが米国の事件に関するノンフィクションを翻訳されていた時期です。私の知人を介して優子さんからご連絡をいただきました。相談内容は自分が翻訳している事件に関するものでしたが、その案件とは別に、自分の父親が裁判で重大な誤りを犯しているのではないかという相談でした。例の千葉で起こった連続少女殺害事件は自分も取材していました。既に死刑は執行されてしまいましたが、あの事件は今でも冤罪だったと確信しています。当時に自分が書いた冤罪に関する記事はその号だけで完結しましたが、実はほかにも書きたいことはありました。その記事を優子さんが仕事の資料で偶然に読んだらしいのです。あの事件は冤罪だったということは間違ありません。確実に真犯人は別にいました」
時田が窓の外を眺める。辺りは既に暗い。
「裁判官もいろいろ大変なことは事実ですよ。事件を冤罪として判断した場合は検察の挙げた事実を否定することになりますからね。最近では一九六六年に静岡市内で一家四人が殺害された袴屋事件で犯人とされ死刑判決となった袴屋義男さんが無罪の可能性があることから二〇一四年に四八年振りに釈放された案件があります。以降、検察が抗告したことから、袴屋さんは確定死刑囚として再審を開始するかどうかが待たれています。この裁判では袴屋さんが犯人ではないと判断した裁判官が辞め弁護士となったケースがあります。彼は一人の人間としてはとても重要な生き方をしたと思っています。この人のように一度、決定してしまった裁判を冤罪として裁判官が決断を下すには相当のエネルギーを要するのです。だから、多くの裁判官は検察が犯人とした人間を犯人ではないと否定しないですよ」
時田は深呼吸した。
「人を裁くというのは大変なことですよ。それだけの重荷を背負ってしまうということですから」
時田が続けた。時田の話を聞きながら昭雄は自分の父親の人生を考えたことがあっただろうかと思う。最後に自らの命を絶ってしまった父親のことをだ。
「ありがとうございました」
昭雄はただそう答えた。
「本当に偶然ですが優子さんには自分も何度かお会いしたことがありましたので、事件のことを知った時はショックでした。自分は書くことが仕事ですので・・・」
「・・・・・・・」
「しばらく東京には戻らないということですね」
時田が話を変えた。
「ええ、しばらくは・・・」
「勤務先は福井ですか」
「ええ、初めての転勤ですので、初めはどうかなって思っていたんですけど」
「福井には何度か出かけたことがありますよ」
「そうですか。仕事か何かですか」
「ええ。原発絡みの仕事でしたが」
「原発ですか。はずかしい話ですが自分は福井という県すら、どこにあるのか知らなかった。海が綺麗でいい所なんですが。原発がそんなに多く建設されている所なんて。東日本大震災が発生して原発が話題になって福井のことも聞いたことがある位でした」
「そう。福井は本当に原発が多い県ですよね。確か一四基でしたか。数の多さでも日本一じゃないですか。原発銀座って言われるくらいだから。金を目当てとする強欲で無知な政治家が多いんでしょうね。確かに反対派も存在するのですが」
時田がコーヒーを飲む。
昭雄は時田の話を聞きながら、改めて福井という県のことを知ったような気がした。
「政治家から暴力団まで原発利権に関わる人間の圧力が強すぎるのでしょう。東日本大震災で日本中の原発が停止し、そのことで福井のことを知った人も多いんじゃないですか。原発銀座としての福井県として」
時田の話が続く。
「一九八六年に発生したチェルノブイリ原発事故でも、原発が立地されている各県の人々以外、日本は原発事故について殆どの人が無頓着だったような気がしますよ。事故が発生したウクライナ地区の被爆者の数は三四二万人で事故処理にあたった八十六万人のうち五万五千人が死亡、作業員の九割近くが病気になりました。日本はだいたい与党政治家が原発賛成だからなかなか議論されない。連合も賛成ですしね。福島であれだけ大きな事故が発生したにも関わらず、今もその姿勢は変わりませんね。それは先ほども言いましたが原発利権で得る金や、地方では交付金の多さがそうさせてしまう。体に悪いと分かっていてもやめられない、たばこや麻薬みたいなもんですよ。福井も初めて原発が立地されてから今までに、原発全体で三五〇〇億円ほどの交付金がばらまかれていると聞きます。つい最近も福井では大飯原発などが再稼働しましたね。常識がある人だったら、電力は火力などで賄えるという事実があるのに、既に老朽化している原子力発電の寿命を延期し稼働させるということにどれだけ無理が生じているかは分かると思いますよ。これだけ日本のあちこちで地震や災害が発生しているにもかかわらずにです」
時田はフリージャーナリストらしく明確に反原発を主張した。裁判官を職業とした父親に関わる話や、福井の原発の現状を聞きながら、昭雄は骨が砕ける思いがした。妹は父を許せず、父は妹を許すことができなかった。父と妹を火葬し骨を拾った時、何とも言えない気持ちにかられた。人は骨になり、やがて砕け散る。そして、残った者は砕けた骨を拾う。ただ、辛く苦しい、それだけなのだ。自分は今、時田の話を聞きながら、自分が自分の砕けた骨を拾っている気がした。ただ黙るしかなかった。
「もちろん、福井にも良い所は多い。海も今は綺麗です。しかし、これは話すべきことか躊躇しますが。福島で廃炉が決定した原発も、二〇二一年から溶けた燃料を取り出し三十年をかけて廃炉にすると言っていますが、建屋を解体しても大量の放射性廃棄物の処理をどうするのか問題は多いのです」
時田が確かめるように昭雄の目を見た。
「東日本大震災が発生した当時も放射能を帯びた瓦礫の処理を他県が受け入れましたか。問題は半永久的に残る放射性廃棄物を埋める場所です」
「原発の放射能汚染の人体への影響はすぐに結果が出るわけじゃないから本当に大変ですね」
正直に言うと昭雄は東日本大震災が発生するまで原発のことなど考えたことがなかった。
「使用済み核燃料を全国から集め再利用する青森の六ヶ所村の施設も今では満杯状態です。フィンランドやスウェーデンでは直接処分する方法が採用されていますが、日本で直接処分しても最終的にどこに廃棄するのか不明なのです」
「とにかく福井で大きな地震がなければいいのですが」
昭雄が言う。
「そうですね。仮に地震が発生しなくても、本来なら廃炉が決定しているものが稼働しているということは忘れてはいけないですよ」
「本当にいろいろありがとうございました」
昭雄は腕時計で時間を確認した。既に午後八時を過ぎている。
「今日はどこにお泊まりですか」
時田が聞いた。
「三鷹の実家に泊まります」
「三鷹ですか。中央線でここから一本ですね」
時田がソファーから立ち上がった。
「ええ、快速だとそれほどはかかりません」
「福井にはいつ行きますか」
「明日の午後には東京を発ちます」
「そうですか。忙しいですね」
「でも本当にお会いできてよかったです。ありがとうございました」
昭雄は再び、丁寧に頭を下げた。ビルを出るとそのまま四谷駅の方に向かった。風が冷たい。昭雄はそろそろコートが必要な気がした。四谷駅から新宿方向行きの快速に乗った。土曜日とあってか車内は空いている。
昭雄は席に座ると、スマホのメールを確認する。目を閉じると父親の雄一郎と妹の優子の顔が脳裏に浮かんだ。葬儀場の二人の位牌と遺影、そして火葬場の二人の砕けた骨・・・・・。呆然としていた母親のさなえの顔・・・・・。時田から聞いた裁判官の現状や福井のこと、途中で昭雄は考えることを辞めた。
そして右手の指を動かす。五本の指は昭雄の脳からの指令で折ったり曲げたりを繰り替えした。やがて、自分もこの骨とともに砕けて散る。いつかは自分もこの世の地獄のような世界から砕け散るのだ。そう思うと幾分、気持ちが楽になった。電車内は新宿から混み始めた。


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