「海に沈む空のように」第22回 地元住民それぞれが抱える苦悩と希望

「それじゃ、また連絡するから」
 井上妙子は車椅子に座る弟の真一に手を振ると改札を抜け、敦賀発午後七時二十六分発の特急「しらさぎ十三号」が到着するホームへと向かった。三歳年下の弟である真一は五歳の時に右足に腫瘍が見つかり膝から下を切断し以降は車椅子生活を送るようになっていた。
 
 その真一も今年で二十一歳になった。現在は父親の経営する原発のプラント関係の下請け会社で事務として働いている。姉の妙子はそんな真一を幼い頃から見てきた。弟が身体が不自由な分、姉の自分は女性だが井上家では長男並みにしっかりした生活を送れるように頑張らなければいけないと自分を叱咤してきた。
 妙子は二年前に京都の私立大学を卒業後、福井市内のパソコン販売会社に就職した。父親の一郎が経営する原発のプラント関連会社には入社しなかったのだ。敦賀では高速増殖炉「もんじゅ」は廃炉、そして一郎が主にかかわってきた「敦賀原発1号」も廃炉が決定した。今後は解体工事が主な仕事になってくる。
 一郎はそんな原発の状況では会社を経営していくことを躊躇している。廃炉には今後は三十年をかける見込みで国や県側は一千億円の予算導入を計画しているが、一郎が踏み込めない理由は、プラントの設計や保守に関わる仕事に取り組んできた自分たちが、廃炉関連の仕事を十分にこなしていける自信がなかったのだ。
 
 今まで一郎は自分の仕事に自信を持ち、三十人の従業員たちを食べさせてきた。しかし、東日本大震災で崩壊した福島第一原子力発電所などを目の当たりして、十年にわたり培ってきた自信は音を立てて崩れ始めてしまった。
 息子の真一のことは気がかりだが、妙子が敦賀市内の自宅に戻るたびに会社をたたむべきかを真剣に考えざるを得ないと真一にも話していた。そんな状況だから真一は姉の妙子が実家に戻るたびに、福井市内で何か自分ができる仕事がないかを相談していたのだ。妙子はまだ自分が幼かった頃に、同じように一郎が悩んでいたことを母親の君江から大学に入学する頃に聞いたことがある。
 一九九五年に発生した「もんじゅ」の配管ナトリウム漏洩事故の時だ。この事故では内部を撮影した担当者が謎の死を遂げた。この事故で「もんじゅ」は成功しないという定説が覆せないものとなった。それにも関わらず日本原子力開発機構は「もんじゅ」を廃炉とせず、二〇一六年の十二月に正式に廃炉が決定するまで、延々と二十年近くに渡り運行し続けたのだ。
 この町は原発以外に何もない地域に作られてしまったんだ。妙子は敦賀駅のホームで列車を待ちながら思う。特に秋になると人の住む気配を感じられない自分の故郷の寂しい駅に立つ。幼い頃から本当に静かな町では氣比神社だけが目立った。
「しらさぎ十三号」の自由席の自動扉が開くと妙子は中に入った。客席はガラガラだった。真ん中まで進むとバッグを上に乗せた。椅子に座るとスマホを取り出しメールを打つ。
「花ちゃん、お疲れさま。昨日はマラソンクラブに行けなかったけど、今週は大丈夫です。また一緒に走ろう」
 五分後には花子からメールが返信されてきた。
「実家はどうですか。真一君は元気だった?『越前海岸マラソン』まで、あと一か月弱だから、そろそろ本腰を入れて走らなあかんわ」
「花ちゃん 真一は元気やった。でも何かいい仕事がないかって。お父さんも会社はたたむって言っているし。車椅子の真一を入れてくれる会社なんて福井で探すのは難しいやろって、言うたんやけど」
 妙子がメールを送る。列車は武生駅に着いた。
「この前、『ヒューテック』の人と会う機会があったんやけど。志賀さんっていうんやけど、その人に聞いて見るか」
「あの『ヒューテック』か、なんで?」
「知り合いの人が紹介してくれたんや。ほら、前にも話したことがあるやろ、井田さんって元警察の人のこと。あの人から飲み会に誘われて、そこに志賀さんが来たんや」
「あの『東尋坊心の会』の人か。いろいろ世話してくれた人やろ。花ちゃんもいい人に会おうて良かったなあ。その志賀さんっていう人、何か知っているかな。でも悪いしなあ」
 妙子が花子にメールを送る。
「聞いてみるだけ聞いてみてもいいやないの。今度、連絡してみるわ。真一君って二十歳を過ぎたばかりやろ。まだ若いからなんかあると思う。それより福井市内まで出た場合に一人で生活できるかが問題になると思うけど」
「生活面は大丈夫やと思う。今も家から少し離れたアパートで一人暮らしうをしているから。ま、家まで十分もかからんから安心といえば安心やけど。一人暮らしは三年位は続けているから。問題はないと思うわ。ま、実際に市内で仕事が見つかれば私の近くでアパートを探すし、その点は心配せんといて。でも何かと悪いね」
妙子はメールを送り終えると目を閉じた。
 
 井田一郎はライターを軽く右手で擦ると、左手に持った三本の線香の先端に火をつけた。そのまま墓石中央の前に線香を立て白い菊と桔梗を左側の花さしに立てた。この墓には妻の佐智子と息子の健史が静かに眠っている。井田の脳裏を過ぎる健史の最後の日・・・・。
 七年前、井田はいつものように事件の犯人を追いかけていた。福井県警の捜査四課の警部補として捜査にあたっていた井田は大飯原子力発電所の改修工事で作業員を違法に派遣したとして暴力団の高城組の関係会社・大木電業幹部三人を逮捕した。
 健史が大学から帰宅途中に交通事故にあったのはそれから一か月後のことだった。事故では男女三人が死亡したが、息子の亡骸をこの手に抱きながら、息子が歩いていた歩道へ突入していった車の運転手・林義一が単なる違法ドラッグ愛飲者というわけではないということを、その後の捜査で突きとめた。林は事故の衝撃で顔面と頭部を強打した結果、即死し無言となったが、何を隠そう高城組の二次孫請けの暴力団組織に属していたのだ。
 しかし、井田は今は亡き者となってしまった林の犯行の証拠を掴むことができないまま定年の日を迎えたのだ。元から身体が健常ではなかった妻の佐智子は、健史の死後、生きる望みを失ったかのような気分の落ち込みを見せる日が多くなった。息子の死の翌年には肺がんを患い、半年後に他界したのだ。これも自分が課した心労が原因と井田は自分を責めた。
 
 刑事としてのあわただしい日常は、妻にいつの間にか重い心労を蓄積させていたのだ。もうあと少しで息子が社会人として自立できると喜んでいた矢先に事故は起きた。井田は自分をどう納得させていいのか分からないでいた。体重は減り続け、食欲もない日が続いた。
気がついたら墓を作った南善寺の住職・南野亮哉の前に座ることが増えていた。
 南野住職の講和を聞き、寺が主催する座禅を組む日が多くなった。この世を生きるとは苦であり、人生では何が起こるか分からない。自分が予測できない事態が発生した時も、無の精神で不動の意思を持って、勇敢に現実に取り組んでいく。それが仏様にお仕えする役目という南野師の教えに井田は心を動かされ、座禅を組むことで少しずつでもいいから、本来の自分を取り戻したいと祈ったのだ。

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