「海に沈む空のように」第23回 井田が刑事人生で得たもの、失ったもの

「そろそろ寒うなってきました」
 井田の背後に声が響いた。
「お疲れさまです」
 南野亮哉住職だった。
「これはどうも・・・・」
 井田が頭を下げた。
「私にも拝まさせてもらいます」
 南野住職が墓の前で手を合わせた。線香の香りがあたりに漂う。墓地のまわりの林は紅葉が色づき始めている。
「座禅を組むまで少し時間があります。少しお茶でもどうですか」
 南野住職が再度、井田の家族が眠る墓に一礼した。
「今日は十人ほどの方がいらっしゃいます」
 
 井田は毎週の月曜日の座禅の会に参禅している。この会に入会して三年が経過しようとしている。
「井口さんも定年を過ぎてからどれ位になりましたか」「五年ほどですか。早いもんです」
「今は昔に比べて平均寿命も長くなり高齢者が多い時代だから。皆さん、会社で定年を迎えてから第二の人生をどうするかが大事になってきていますね」
「住職はおいくつになられましたか」
「今年で七十八歳です。禅僧には定年はないから死ぬまでお勤めさせていただくつもりですが」
「寺を持つというのは大変なことですね」
「いえいえ。でも、井田さんも退官後もいろいろお忙しい毎日をおくっていらっしゃるようで何よりです」
 南野住職がお茶を勧める。
「ここで座禅を組まさせていただくことで何かと助かっております。刑事にはクリスチャンになる人もいるようでうすが、自分も現役時代から座禅を組む習慣を持てばよかったと後悔していますわ」
「なかなか忙しいと、そこまで時間を割くことができないもんです。私らは仏様に仕えるのが仕事だから、こうして座禅を組むこともできますが」
「やはり日常の生活自体が、生きることが修行ということになりますね」
「禅でも年末には接心といいまして、八日間、眠らずに座りっぱなしという修行がありますが。日頃、厳しい毎日を送っていらっしゃる一般人の方々に偉そうに修行している僧侶なんだとは決して言ってはいけないですよ。一般の方々も毎日、必死で生きていらっしゃる、本当に生活すること自体が修行そのものになります」
 井田はここで座ることで、自分自身を改め妻や息子に懺悔したいと考えていた。どこかで自分を責めていたのだ。自分の刑事として働いてきた人生を顧みながら、数々の事件解決に取り組んできた。しかし、自分の犯してきた悪業から逃れきれないと強く感じたのは、かけがえのない家族の死だった。
 
 妻の佐智子とは高校時代に知り合った仲だった。井田が二年先輩で高校を卒業後して自分は東京、佐智子は京都とお互いが別々の大学に進学したが、彼女のことが忘れずに交際を申し込んだのだった。
 井田が刑事になること伝えたのは大学を卒業する前年のことだった。自分が選んだ職業が警察関係の仕事と知り、佐智子は交際相手と結婚することを躊躇した。どんな女性でも夫が警察官になると聞いて素直に喜ぶ人間は多くはない。佐智子とてテレビで刑事が登場する番組を見たことはあるものの、常に危険な状況に身を置く仕事が身内になるということ自体、心から喜べることではなかった。そんな佐智子が自分との結婚に同意してくれたことは、井田にとって何よりも生きがいになったのだった。
 一方で、息子の健史が事故で死亡して以降は、日ごとに佐智子から覇気がなくなっていくのが分かった。息子の死を追うようにして妻が他界した時、井田は気が付くと東尋坊の岸壁に立っていた。家族は自分が殺したに違いない、逮捕する相手が犯罪者とはいえ、人を裁くという自分の刑事としての仕事はどこかで人を傷つけているのかも知れない。
 
 そんな時に知ったのが「東尋坊 心の会」だった。自殺防止活動という、なかなかできないことを同じ元刑事がやっている。そこ・で働くようになったのも、人の役に立ちたいと心底思うようになってからだ。東尋坊は観光名所だが、断崖絶壁が多いことから、いつのまにか自殺者志願者がうろつくようにもなってしまった。そこで自殺をやめるようはたらきかる活動を、地元の元刑事で先輩である山本文蔵が退職後に始めた。山本の活動は奏功しこの十年でも、多くの自殺者が減ったのだった。
 井田は南野住職と知り合い、住職の座禅の会にも入会し、井田は六十歳を越えて初めて仏教について学び始めたのだった。それは自分自身について自覚することでもあった。本来、煩悩だらけの自分はないとする「無我」の教えに感心し、また浄土真宗のこの世界を生きる人は悪人であり、阿弥陀仏の救済の対象となる、という教えに救われた気がしたのだった。それは多くの犯罪者たちが、生まれ育った環境を選択できずに、犯罪を犯しながら生きざるを得ない現実に光を射すまではいかなくとも、そんな現場に立ってきた自分自身を救うものになっていた。
 
 それは自分が見てきた悲惨な事件現場を忘れさせる新しい日常の始まりでもあった。時折、井田の脳裏を襲ってきたのは、血まみれになって残忍な死に方をした被害者たちの目を覆いたくなるような姿だった。そして、今も忘れられないのは息子の健史を殺害したであろう真犯人のことだった。退官して数年が経過した今でも、犯人を殺したいという感情を払拭することができないでいる。
「『般若心経』がありますが、この空という考え方もなかなか実感できる人は少ないですよ」
南野住職が井田に言う。
「一番、世界で短いお経といわれる経文ですよね。自分も何度も毎日、読もうと努力していますわ。でもなかなか意味まで理解できんですわ」
 井田が少し照れた表情を見せた。
「なかなかむずかしいですよ、実際には理解するのはね。目も耳も口も、身体もない、だから苦しみもない、って言うんですから。何も無い、何も無いって言ってもね。実際は身体もあるし、現実の日常生活もあるし、もちろん苦しみもある。実際に仏教では、この世界では苦しみだらけだ、と言っているわけだから。ある意味で矛盾しています。でも煩悩は捨てなさいということなんです」
「凡人には分からん話です」
 井田が笑みを浮かべる。
「ただ、般若心経では、彼岸へ渡れって言っていることです。この部分を忘れちゃいけない。彼岸に渡ることを忘れなさんなってね。本来の自分はこの世界だけに生きているのではないって言うんですかね。身体だけではない。本来の自分である魂は彼岸にも行ったりしていると解釈していいんですかね。この経典の解釈はいろいろあるから」
 南野住職の話に井田が聞き込む。
「このことは経験してみなきゃ分からんですよ。経験すれば空の感覚が分かると思いますが」
「空・・・自分はないとすることですか」
 井田がお茶を口にする。
「そうですね。座禅を組むのもその感覚を経験するための方法でもあるんです。無我無住無心と禅では言ったりしますが」
「徹底して自我を否定するということですね」
「煩悩を滅するということです。恐れや不安、怒りの感情を抑えることが重要になるということです」
 南野住職が時計を見て時間を確かめる。午前六時五十分を過ぎたばかりだ。
「そろそろ皆さん、お集りの頃と思います。行きましょうか」
 南野住職は大広間に出ると、座禅参加者たちに挨拶した。井田が参加者の後方に座った。

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