路上記23.「特攻兵として9回出撃し帰還、戦争を闘い続けた佐々木友次さんの生涯」

 8月15日は終戦記念日です。日本は今年で戦後73年目を迎えます。毎年、この時期になると多くのメディアが戦争を特集します。戦争を経験していない世代が多くなる今日、戦争について考える大事な機会になるのです。
 
 戦争ではまだ20代そこそこの若者たちの多くが戦争に兵士として徴兵され、日本のために海外の兵士たちと闘いました。日本人の戦没者は310万人と言われますが、中には生きて生還した人たちも存在します。現在はほとんどの方が90歳以上で他界する人も増え、貴重な戦争体験を語る人たちも年々、少なくなっています。
 その中の一人である佐々木友次さんは、1944年の10月から46年の1月までフィリピン戦線で、特攻隊として戦争に参加し9回出撃して帰還した奇跡の人です(佐々木さんは3年前の2015年に92歳で他界しました)。
 
 佐々木さんは万朶隊(ばんだたい)という特攻隊に属していました。万朶隊はフィリピンのルソン島、レイテ島などで出撃を繰り返した特攻部隊です。1941年からの戦争で日本はフィリピンを占拠し1944年から2年に及ぶ戦闘は、フィリピン奪回を目指す連合軍と防衛する日本軍との間で行われました。フィリピンでの戦争では51万人の日本兵が死亡したといいますから(旧厚生省)、いかに生き残ることが困難だったかが分かります。
 
「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上尚史著 講談社現代新書)は、そんな佐々木さんの勇敢な戦争体験と貴重な生前最後のインタビューをまとめたノンフィクションです。
 戦時中、特攻隊には多くの将来を期待された若者たちが徴兵されました。学徒出陣として大学生たちも徴兵され、京都大学や慶応大学の学生から特攻兵として出撃していった者も多く存在したのです。現在、日本には徴兵制はありませんから、徴兵に出る人の気持ちが我々、戦後生まれの世代にはよく分からないかも知れません。
 しかし、隣国の韓国には現在も徴兵制度があり、18歳になると軍人として徴兵されることが義務となっています(ウイキペディア)。日本との芸能関係の交流も盛んな韓国の人気歌手や役者が、突然に徴兵されテレビから姿を消すということを身近に聞くことも多いですね。
 
 佐々木さんは特攻隊として徴兵されたのですから、本来は一度の出撃で死んでしまった筈なのです。しかし、それを断固拒否し敵を爆撃し大破させては帰還しました。特攻隊の義務は敵艦隊に突撃して死ぬことですから、そんな彼をよく褒める上官はいませんでした。でも、佐々木さんは「自分は絶対に死なない」と決めていました。日露戦争に出兵した父親の「人間はそう容易には死なない」という言葉をいつも忘れないでいたのです。
 
 凡人から見ると戦闘機に乗って爆撃を繰り返すだけでも大変なことだと思いますが、佐々木さんは、そんな戦闘を何度も繰り返しました。さすがにマニラ北東を飛行中に、機体の調子が悪くなり不時着し、あらためて操縦席がボロボロになったのを見た時は、自分が生きているのが不思議に感じたといいます。
 
 また、戦争では多くの兵士が食料不足により飢餓で死にましたが、佐々木さんもフィリピンではカエル、ヘビなど生きているものは何でも食べたそうです。同じくフィリピンでの戦争体験を描いた大岡昇平の「野火」には食べるものがなく、人肉を食べる狂った兵士が登場しますが、まさに佐々木さんもマラリアに苦しみながら同じように孤独と空腹に陥りました。まさに地上においても命懸けの毎日だったのです。
 
 現在は飽食の時代とも言われますが、我々はおのれの命を捨てるのが当然という特攻隊の中で、自分は絶対に死なないと決め、何度も危険に遭遇しながらも、勇敢に闘い続けた佐々木さんのような日本人が存在したことを決して忘れてはいけません。

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