路上記25.爆撃下 、次々に運び込まれる瀕死の患者たち、気温50度・・・紛争地で活躍する日本人看護師の姿に身が引き締まる

 8月14日も天野は仕事が終わってから、いつも通りふらふらになりながら、午後7時半過ぎにようやく家路に着きました。前日の13日に雷がやまないゲリラ豪雨の中を40分間歩き続けたのが原因なのか、7月以降から続いている高温の夏に、14日の夜は週明けとはいえ何か得たいの知れない重い疲労を感じていたのです。
 
 ラジオをつけ一息ついていると、J-WAVEの「Jam the WORLD」 から元気のよい女性の声が聞こえてきました。当日に同番組のゲストとして出演していたのは、イラク、シリア、パレスチナに8年間で17回も「国境なき医師団」の看護師として派遣された白川優子さんでした。何か明るくずいぶんと歯切れのよい活発な女性の声がラジオから聞こえてきたのです。天野は疲れた身体のまま、耳だけはダンボのように大きくしてラジオの声に波長を合わせました。
 
 白川さんはこれまでのご経験を「紛争地の看護師」(小学館)という本にまとめられました。白川さんは2010年以降、「国境なき医師団」(MedecinsSans Frontieres=MSF) のスタッフとして戦地に入り「目を覆い、耳をふさぎたくなるような現実」の中で仕事をしてきました。MSFとは独立、中立、公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。(一応・・・・、天野はとても紛争地などに行ける男ではありません。勇気ある方々のお話を聞きながら、読みながら、ひたすら気合いを入れているのです)
 
 2017年8月2日、白川さんはシリアのラッカ市内で活動していました。当時、ラッカはIS(イスラム国)が首都としていた場所です。ISとはイラクとシリアにまたがる地域で活動する過激派組織です(ウィキペディア)。支配地域では「イスラムの教えを市民に強制し、従わない者は捉え」、敵対者には「斬首、火あぶり、磔(はりつけ)、水に沈めるなどの処刑場面をインターネットの動画で配信し残虐な支配で世界を震撼させてきた」のです。
 
 そのISがラッカ市内で勢力を拡大する中で、次々と運ばれる地雷被害者たち。病院に運ばれてくる被害者にはいくつかの特徴があることを述べています。まず、一度に運ばれてくる患者全員が同じ一族であること。運ばれてくる中で先頭と二番目を歩く人間が死亡、もしくは四肢の切断、内蔵の損傷という重傷を負っている。歩く順が後方になればなるほど、軽傷になるというのです。「結局、2日の夜は夕方から13人の被害者が病院に運ばれ一睡もできなかった」そうです。
 
 しかし、眠れる日でも「ラッカの宿舎には冷房はなく、外気温は50度で、夜は蚊やダニに刺された箇所が気が遠くなるほどに痒くなる。200箇所は刺されていた」といいます。今年の日本の夏は最高気温が40度を超えたとはいえ、天国です。また日本の蚊は暑すぎて出てきません。 
 2014年の2月には南スーダンのマラカルで活動していた白川さんは、ここでも気温が50度の環境下で活動をしました。その上に水不足です。トイレは草むらで、シャワーはひたすら我慢するしかありませんでした。南スーダンは「長い内戦が続いた後で、政権内の派閥抗争から、石油の利権も絡む内戦が始まってしまった。それは民族間の殺戮へと発展した」国です。
 
 白川さんはこの砲撃音、銃撃音が鳴り響く中で路面で死んだままの者や、苦しみながらうめいている者など100人を目撃します。医療施設の確保もできない状態で、気温50度の中、路面で援助活動を続けました。「簡単に遺体を奪われる命、見向きもされない死。私たちと同じ人間なのになぜだろう」・・・白川さんは問いかけます。
 世界中の紛争地や劣悪な環境下など極限状態の中で、勇気ある医療活動を続ける女性の姿にただ、身が引き締まるばかりです。

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