「海に沈む空のように」第26 回 交通事故で死んだ筈の息子は殺害された

 日曜日の早朝、東尋坊にはゆるやかな風が吹いている。波も穏やかだ。遠くには真っ青の空と海が広がっている。井田一郎は「東尋坊 心の会」主催者の山本文蔵らとともに海沿いをパトロールする。
 文蔵はここで自殺者に死ぬことを思いとどまるよう活動し始めて十五年が過ぎた。実に五百人近くが彼の力で、この地にとどまり再び生活を始めている。活動により自殺者の数はずいぶんと減少しているが、それでも活動を継続しなければ、東尋坊の断崖から飛び降りる人々をなくすことはできない。今も確実に自殺を考えてこの辺りをうろつく人々はいるのだ。
 
 井田はそんな活動に尽力する文蔵を心から尊敬している。自分とは十歳も年上で何よりも同じ警官出身ということが、井田は文蔵を尊敬してやまない理由となっていた。今も文蔵は刑事の鏡だと思う。
 今年で七五歳を過ぎる文蔵も刑事として、多くの死の現場に立ち会い悩んできた。それは井田も同じだ。何の罪もない被害者が殺害されることは許されないことだが、加害者にも人を殺害しなければいけない理由や状況はあるのだ。
究極の罪となる殺人は、ある意味で人が背負ってしまう悪業なのかも知れない。だから、せめて自らの命を絶とうとする人々は助けたいと思う。人は苦しい時期を耐えさえすれば生き抜くことができると井田は最近になって思えるようになった。だから、この地に悩みを抱えてくる人にもせめて・・・苦しい現実から逃げずに生き抜いてほしいと話すのだった。
 で、なければ大自然を抱擁する偉大な海が人々の悪業と苦渋で濁ってしまう。ましてや多くの原発が設置されたことで、万一に大きな事故が発生すれば福井の至福の海と海岸はそんな地域になりかねない。この海さえ、罪深い人々は殺そうとしている。何とかその現実を食い止めたい。
「今日は比較的、人が少ないな」
 文蔵が井田に声をかけてきた。他のスタッフは少し離れた場所で行動している。文蔵と井田だけがパトロールする。
「さすがに十一月になると少なくなりますわ。でもここに来る人に季節は関係ないですから。むしろ、寒くなるこの時期の方が来たくなる・・・」
「ほうや、むしろ死にたいと考える人はな」
「しかし、福井もまた原発が動き出した・・・困ったもんや」
 文蔵が先を歩く。
「困ったもんですわ」
 井田が遠くを眺めた。
「これまでにも福井の原発でも事故が発生して、人が死んでいるんやけどな。老朽化している原発をいつのまにか容認してしまうこと自体がおかしいな」
 
 文蔵がたばこをポケットから取り出した。
「十四年前には美浜原発の配管から蒸気があふれ出し、四人が死亡、三人が身体の半分をやけどするという大事故が発生しましたからね。原爆の被害を受けるのと変わらんですよ。これは」
 井田が文蔵にライターに火をつけて差し出した。
「ほやな。停止が決まったけど『もんじゅ』でも再三にわたり、配管破損の事故が発生したな。燃料棒の取り出しも始まったが、後処理のことを考えても危険は多い。状況はそれほど今までと変わらんよ」
 文蔵が海風を防ぐようにたばこを左手でかばいながら吸う。
「日本の原発の多さには、核保有も含めて世界から異論も出てるほどやろ」
海風の中で微かにたばこの臭いが漂う。
「福島原発も廃炉は決定しましたけど、廃炉にかかる費用だけでも四千億円近くがかかるらしいですわ」
「今だから言える話やけど全くあほみたいな話や・・・・そろそろ行くか」
 文蔵が携帯の灰皿にたばこを入れる。
「本当にこのままでは、福井に未来はないですわ。原発さえなければこんなに自然に恵まれた素晴らしい地域はないのに・・・」
「だいたい、これからの若い人は、こんな場所に住もうなんて考えんやろ。政治にかかわる人間らは自分らだけのことだけ考えて生活してきたもんが多すぎる。災害も至る所で発生している。何もなければいいがな」
 井田が遠隔操作でクラウンのドアの鍵を開けた。文蔵が左側のドアを開ける。井田は運転席に乗った。車のエンジンをかけた瞬間、携帯電話が鳴った
「あ、ちょっといいですか」
井田が表示された名前を見ながら電話に出る。
「はい井田です」
「お休み中にすみません。小沢です」
 福井県警捜査四課の小沢正樹だ。
「どうした?」
「落ちました。井田さんの息子さんのこと。この前、大飯の違法労働者派遣がらみでパクった佐十組系の電装工業社長の釜本が・・・」
「な、何をだ」
 井田の声が大きくなった。
「息子さんの交通事故のことです」
「な、なんだと」
「仕組んだのが佐十組の会沢組長だと・・・以前に聞いたことがあると」
「本当か」
 井田が携帯電話を持ち替えた。佐十組は十年程前にゲーム賭博容疑で捜査していた暴力団だった。当時、井田は会沢茂を現行犯逮捕した。しかし、会沢は一年の服役の後、出所後に何者かに射殺されてしまったのだった。現在も犯人は逮捕されていない。
「もう会沢は殺害されて、この世にいないので残念ですが」
 いくぶん小沢の声が低くなった。
「そうか、そのことが分かっただけでもいい」
 井田が答えた。
「とにかく、ありがとう。ご苦労さん」
 井田は小沢をねぎらい電話を切った。
「どうもすみません」
 井田が文蔵に言った。
「何かあったのか」
「県警の小沢が捜査しているヤマのことです」
「・・・・・」
 井田がエンジンをかける。
「数年前に息子が事故にあって死んだんですが、その時の犯行を指示したのが佐十組の組長だと」
「そうか」
「佐十組の会沢は射殺されました」
「組同士の抗争だと言われていたやつやろ」
「ええ、そうですね。県警の小沢が息子のこと気にしてくれていましてね」
 車は越前岬の方に海外沿いを走る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA