小説「海に沈む空のように」第28回 それぞれの者が抱える重い現実と不安

 ●前回までのあらすじ
 『福井で自殺しようと東尋坊の断崖に立つ人に一声かけて防止につとめる「東尋坊 心の会」で働く元刑事の井田一郎は、先輩で同会の主催者である山本文蔵とともに東尋坊をパトロールした後で、海岸沿いを車で走りながら、年末に初めて越前海岸で開催されるマラソン大会について話していた。
 一方、志賀昭雄の妻・時子は東京で日曜日の午後を過ごしていた。単身赴任の夫である昭雄は福井に住み、時子は東京で娘の陽花とともに生活を始めて半年以上が経過していた。いつのまにか夫とのコミュニケーションが少なくなっていることや、二人の関係が希薄になっていることに不安を抱く。』

 立川駅近くの家電量販店「スギカメラ」の一階のロビーには携帯電話の新商品が所狭しと販売されている。清掃業者の中井浩二は新しいスマホを手にしては、使い具合を確かめた。今年で購入して四年目を迎えた現在、使用しているスマホはそろそろ新商品に買い替えてもいい頃だと考えている。今日は仕事も休みとあって自宅から自転車で三十分の所にあるこの店にきた。
 昨日は新宿の駅近くのビルでガラスクリーニングがあった。近くには大型の家電量販店もある。浩二はそこの清掃もしたことがあった。大型のショッピングビルやホテルなどは夜中に清掃を行う所がほとんどだ。夜中に清掃に入るとどうしても生活が逆転傾向になるから、できるなら日中の仕事に就きたいというのが、現在に勤務するガラスクリーニングが中心の清掃会社に転職した理由でもあった。
 まだ、二十五歳の浩二はガラスクリーニング作業が問題ない年齢でもある。地上の清掃作業も気を付けなければ怪我をすることが多いが、ガラスクリーニングは地上の清掃業とは違い、時に命懸けの仕事になる。今は自分も若いからガラスクリーニング作業も問題はないが、そう長くはできる仕事ではないことは実感していた。いずれにしろ、清掃の仕事は肉体労働だから疲れる。たまの休みはゆっくりしたい。そんなことを考えながら浩二はスマホを眺めた。
 賑やかな音楽が流れる中で浩二のポケットの中のスマホが振動する。
「はい、中井ですi
です」
「中井君、時田です」
 聞き覚えのある声だ。
「お久しぶりです」
 浩二は電話の相手がジャーナリストの時田治夫だとすぐに分かった。
「今、大丈夫? 久し振りだね。元気にしていますか」
「元気です。お久しぶりです」
 浩二は繰り返した。
「聞こえる? 今、どこなの? ずいぶんと賑やかだけど」「今、『スギカメラ』です。ちょっと待ってください。外に出ますから」
 浩二は急いで店外に出た。
「すみません。これで大丈夫だと思います」
「買い物しているの?」
「スマホの新商品でも買い替えようかなって思って」
「新商品出たからね。使いやすいかい」
「ちょっと、まだわかんないっすね」
 浩二はスマホを右手から左手に持ち変えた。
「いや、今日は用事があって連絡したんだけど。休みでしょう。仕事・・・」
「ええ。今日は日曜日なんで。休みです」
「うまくいってんの? 仕事の方は・・・・。確か清掃の仕事だよね」
「ええ、何とか、やっています」
「そうか、それは良かった。今日、電話したのはね。以前に聞いていたお父さんのことなんだけど」
 時田が落ち着いた口調で話し始めた。
「いや、本当はね。浩二君に会って直接、話した方がいいかなって思ったんだけど」
 時田の話を聞きながら、再度、浩二がスマホを持ち変えた。「な、何か父のことで」
 浩二が緊張した声で聞き直す。
「まだ、確かなことではないんだけど」
「・・・・・・・」
 しばらく沈黙が続いた。
「浩二君のお父さんじゃないかっていう情報が入ってね」
「・・・・・・」
「オヤジが・・・・・ですか」
 浩二の声が詰まった。
「うん。お父さんに似ている、っていうかお父さんかも知れないっていう・・・・・・ね」
「そ、そうですか」
 浩二の声が少し震えた。
「実は君と以前に会った時に、お父さんの話を聞いてさ。行方が分からないっていう。で、以前にテレビの人探しの仕事で知り合った探偵屋さんがいてさ。仕事関係で何度か会う機会があってね。一応、その人に頼んでみたの」
「父のことを・・・・ですか。料金は高くないですか」
 浩二が唾を飲んだ。
「そう、たぶんね。でも、料金は気にしなくていいって話していたから。心配しなくていいよ。ただ実際に行って会ってみないと分からないからね。ただ、まだ一〇〇%本人かどうかは会ってみてからなんだけど。浩二君に直接、会ってきて見てもらおうと考えているんだけど。休みとかとれるかな」
「ええ。大丈夫ですけど」
浩二は少し身振りしながら時田の話に耳を傾けた。
十一月 福井
 昭雄が福井県鯖江市内にある竹田製作所の給食センターで働く高田花子から連絡を受けたのは一週間前のことだった。花子は友人で福井市内のパソコン販売会社に勤める井上妙子の弟の仕事の件で相談があるという。花子とは元刑事の井田一郎の紹介で知り合ったのだが、井田を介して飲み会で数回、話しをしたことがあった。
 昭夫は福井に転勤になることで単身生活を強いられることになったが、一人で生活をしているということもあって、東京に住んでいた頃とは違った年代の友人たちを持つことができた。昭雄は自分の妻と娘のことが脳裏を離れたことはなかったが、何よりもいつのまにか週末にも連絡し合わなくなっている自分や妻が、このまま本当に離れ離れになってしまうのではないかという不安感を抱くようになっていた。
次号につづく

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