小説「海に沈む空のように」第29回 待望の越前海岸マラソンが開催へ

●前回までのあらすじ
 刑務所から出所してすぐに家を出てしまった父親を持つ中井浩二は、ある日、ジャーナリストの時田治夫から連絡を受ける。中井は以前に志賀昭雄の妹が殺害された現場のマンション付近で偶然に時田と会ったのだった。時田は失踪中の中井の父親について、知り合いの探偵から似た人物を見かけたという連絡が入ったことを告げた。一方、志賀昭雄は福井で大手部品メーカーの社員食堂で働く20代の高田花子らと会う。  
 
 
 午後五時過ぎ、志賀昭雄はアパートを出ると表通りまで歩いた。
 普段なら車を使うところだが、高田花子とは市内の飲み屋で待ち合わせしている。表通りに出てしばらくタクシーを待った。三分程待っただろうかタクシーは比較的、早くにつかまった。
 
 福井駅前の飲食店「竜の響き」には午後五時半過ぎに着いた。福井に来てから二十代の女性と飲む機会などないと考えていたが、意外な人脈で輪が広がった。花子と妙子は既に店内に到着していた。ちょうどメニューを眺めているところだった。久しぶりに会う花子は以前に飲んだ時よりも痩せたように見える。
「こんばんは。久しぶりだね。元気にしていました?」
 昭雄は花子たちの座る席の前に立った。
「お久しぶりです。お忙しいところありがとうございます」
 花子と妙子が揃って頭を下げた。
「元気そうだね。花ちゃん少し痩せたんじゃない?」
 昭雄は言いながら二人に席に座るよう勧めた。
「レースが近いので。マラソン、結構、走っています。こちらが井上妙子さんです」
 花子の隣に座る妙子が丁寧に昭雄に挨拶した。妙子も花子と同じマラソンクラブに入って練習しているせいか顔色がいい。
「はじめまして、井上と申します」
 昭雄はふと娘の陽花のことを思い出した。まだ幼い娘だが、いずれは陽花も彼女たち同様に社会に出る。そう思うと、目の前の二人も他人には見えないのだった。
「飲み物はどうする?ビールは飲まないでしょう」
 昭雄がメニューを見た。
「ビールでも大丈夫です」
 花子が妙子の顔を見る。
「ええ、私もビールは好きです」
 妙子が笑みを見せる。
「最近の若い人はビールはあまり飲まないって聞いたけど」
 昭雄は東京に勤務していた頃の会社の飲み会を思い出した。
「そう。回りの友達なんか見るとそうですけど。私たち、マラソンクラブの人たちと飲む機会があって。結構、年上の人もいるので、いつのまにかビールを飲む機会が多くて」
「そうか、じゃあ生ビールでいきますか」
 昭雄は店員を呼んだ。
「もうマラソンレースまでひと月もないんじゃない」
 越前海岸マラソンは三週間後に開催される。
「ええ。十二月十五日だから、もうすぐ」
「焼き鳥と刺身でいきますか。栄養をつけないとね。セットのオーダーは僕にまかせて。あとは好きな物を頼んで」
 昭雄はモモやキモなど焼き鳥のオーダーを始めた。
「あ、そうだ、タレか塩も聞かなきゃ」
「タレでいいです」
「私もタレでお願いします」
 花子と妙子が続いた。
「野菜は生野菜サラダと、焼き野菜はナス、アスパラ、シイタケ・・・・」
 昭雄がオーダーを続ける。
「今日も走ってきたんでしょう」
 オーダーを終えた昭雄が聞く。
「午前中に練習がありました。七時から十時まで走ってきました」
 妙子が答える。
「ハーフですね。今日は二時間と三十分と少しかかって。二十キロほどだからもう少し早くないといけないんですが」
 妙子が言う。
「二十キロって簡単に言うけど、それだけ走るのも結構、ハードだよね」
「ええ。それでも越前海岸マラソンは制限時間が市民レースでは長くはないんで」
 花子が話している間にビールが運ばれてきた。
「きたきた。じぁあ乾杯といきますか」
 昭雄がビールをかざす。
「カンパーイ」
 花子も妙子もうまそうにビールを飲み始める。
 「制限時間が五時間だから」
 花子がビールを飲みながら言う。
「ま、五時間だから時間内に走り切らなきゃいけないんですけど」
「五時間以内にゴールしなきゃ失格になるんだね」
 昭雄が確認する。
「そうです、ま、自分はサブフォーが目標なんで」
 妙子が言う。
「二人とも四時間以内にゴールするのが目標なんです。クラブではその時間を設定されているんです」
「制限時間まで一時間もあるんだ」
「そうです。クラブの人たちには結構、早い人もいて三時間ほどでゴールできる人もいるから。フルマラソンを四時間でゴールという時間はそれほど早いとは言えないから」
 焼き鳥と刺身の盛り合わせが運ばれてくる。
「さあ、来たよ、食べよう」
 昭雄が取り皿を配った。
「井田さんも応援に来てくださるって仰っていますんで」「東尋坊もコースに入るんでしょう? 井田さんは行くだろうね。僕も行くよ、応援」
 昭雄がビールを飲み干した。
「ありがとうごあいます。がんばんなきゃ」
 花子と妙子がお互いの顔を見合わせた。とにかく、雨だけは降ってほしくない。福井はこれから雨とか多くなるんで」
 
 妙子が思い出したようにポツリと言った。
「ほうや。天気だけは晴れてほしいね」
 花子も頷く。
「福井は雪が降るらしいからね。天気が心配だね」
 昭雄がビールをオーダーする。
「この前、電話で少し聞いたんだけど、仕事の話なんだけど」
 昭雄が話を変えた。
「あ、すみません。妙子の弟が仕事を市内で探しているんです」
 花子が妙子の顔を見た。
「弟が市内で仕事ができないかって言っていまして」
 妙子が遠慮気味に口にした。
「この前、花子からある程度、弟さんの話、真一君の話は聞きました。現在、知り合いに聞いて貰っています。何かあるといいんですが」
「ありがとうございます。車椅子生活だから、就職はむずかしいって本人には話しているんですけど。どうしても実家を出るって言い出しまして」
「セキュリティ会社のセイムがいい返事をくれるかも知れないです」
「え、もう探していただいているんですか」
 妙子が驚いた。
「もう少し待ってください。いずれどこかに決まると思うから」
 昭雄の返事に妙子は何度もお礼を言った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA