小説「海に沈む空のように」 第33回・マラソンスタート時にトラブルは起きた

前回までのあらすじ
志賀昭雄は喫茶店で井上妙子らと会う。就職先を探している妙子の弟・真一に仕事を紹介するためだった。昭雄はちょうど、真一に紹介できそうな仕事を見つけることができた。紹介先は損害保険会社関係の仕事だった。その日から二週間後、「越前海岸マラソン」が開催された。昭雄は高田花子と妙子の応援に出かける。澄み切った青空の下に広がる越前海岸のレース会場には大勢のランナーたちが集まっていた。

レースに参加する選手たちが次々に会場に集まってくる。「越前海岸マラソン」の参加者は一万人程だというから花子たちを探すのは容易ではない。昭雄はスマホで花子に連絡を取った。四回コールで花子が出た。
「おはようございます」
元気な花子の声が昭雄の耳に響く。
「晴れて良かったね。今、どの辺なの?」
「志賀さん、もう来てくれたんですか。うれしーい」
花子が歓声を上げる。
「スタート地点に来たんだけど」
昭雄がスタートのポールを眺めた。
「そうですか。それじゃ自分たちもその近くまで行こうか・・・あ、申し訳ないんですけど。まだ、少し時間があるから・・・」
「スタート地点まで来る頃は、荷物を持っていない状態だよね。今、花子ちゃんたちがいる所まで行くよ」
昭雄が答えた。
「すみません。大丈夫ですか。私たちコインロッカーがあり、着替えができる会場にいます。そこからだと海から逆の方の大きな体育館になるんですが」
「体育館? あれかな」
昭雄は後方の大きな建物を見る。
「ええ、一つしかないのですぐに分かると思います。入り口付近に看板もありますから。その付近で待っています」
「わかった。じゃあ、そこに行くから」
昭雄がスマホを切った。花子たちが待機している体育館まではスタート地点から徒歩で十分の所にあった。
昭雄は入口付近で高田花子たちを探す。入口付近に花子と井上妙子、そして妙子の弟の真一が車椅子に座っている。
「お休みのところ、ありがとういます。こんなに早くに来ていただけるなんて」
花子がうれしそうにお礼を言った。続いて妙子と真一が頭を下げた。
「晴れて良かったね」
「ええ。日頃の行いがいいから」
花子が笑った。
「先日はありがとうございました」
妙子が頭を下げた。
「ピタニアの担当の人に会いました。採用が決まりました」
真一が言う。
「よかったね。一昨日、ピタニア担当者と話したんだけど、勤務時間帯も問題なそうだね」
「ええ、希望の午前八時から入れそうです」
「今日は僕らは走らないけど、最後までゴールできるようにしっかり二人で応援しなきゃね」
昭雄の冗談交じりの呼びかけに真一が笑った。
「井田さんもいらっしゃると思います」
花子が辺りを見渡した。
「いつも練習でもゴールしてから来ることが多いから、今日もスタート時間までには来ないと思います」
妙子が言う。
「あまり立ち話もなんだから。冷えるといけないし」
昭雄が二人に中に入るようにうながした。
「これから準備体操とかやらなきゃいけないでしょう。僕たちはスタート地点で待とうか」
昭雄が真一に言った。
「ええ、今日は天気もいいからそうしますか」
真一が車椅子を軽く前後に動かした。
「じゃあ、無理しないで。ゴール付近で待っているから」「ゴール地点に十二時過ぎ頃にはいてくださいよ。妙ちゃんがゴールするから」
花子が言った。
「間違いなく昼にはいるようにするから」
真一が返事をした。
妙子がガッツポーズを見せた。昭雄と真一の周りには次々に参加者が更衣室に出入りする。気が付くと午前八時三十分を回ろうとしている。
「もう、スタートまでそれ程、時間がないね」
昭雄が真一に言う。
「そうですね。あと少しだから姉さんたちもスタート地点に向かうと思います。ゴール予測時間が四時間半だからスタート地点は後方に並ぶと思いますよ」
「そうか。これだけ多くの人が参加するからスタート順も走る時間で決まるんだね」
「そうみたいですね。このレースでも招待選手がいるようですから」
「招待選手?」
「ええ。市民ランナーだけじゃなくて、実業団の選手なんかも来ているって姉が言っていました」
「お姉さんはマラソン歴は長いの?」
「ええ。姉は結構、いろんな所のレースにも参加したりしていますよ。今日は三時間三十分台でゴールすると思います」
「早いんだね。妙子さん」
「自分がこうだから。何かと頑張るんです」
 真一が口を閉じた。
スタートの号砲が鳴る二十分前、スタート地点には多くの参加者が並んでいる。昭雄と真一は四時間と書かれたプラカード付近の所で花子と妙子の姿を探した。
「いた、いた、お~い頑張ってねー」
昭雄が花子たちの姿を発見した。花子たちも手を振り返す。
「でも本当に今日は天気が良くて気持ちいいね」
「福井も最近は雨が多くなったけど、数年前まではこの時期は晴天の日が多かったんです。新年を迎えて一週間程を過ぎてから雪が降り始めますけど。それまでは本当に雨も降らない日が結構ありました」
「そう。気温は低いけど、空気が澄み切った感じがするね」
「姉から聞いたんですけど、この付近では海と山を百キロ走るレースもあって、姉はその五十キロ部門に出るっていっています」
「五十キロ?・・・・も走るの」
「姉はまず、そのレースの五十キロ部門を目標にしているみたいですけど」
「五十キロにしても凄いね」
昭雄が感心している間にスタートの号砲が鳴った。大勢のランナーが二人の前を過ぎていく。
昭雄と真一が二人を見守る後方で一人の男が昭雄の行動を注視していた。やがて男は昭雄に近づく。男は何か刃物のような物を隠し持っている。昭雄の背後、二メートル前まで男が近づき昭雄に襲いかかろうとした瞬間、もう一人別の男が背後から男を羽交い絞めにし、地面に倒すと右手の刃物を蹴飛ばした。昭雄は驚いて後方を振り向く。
「おいこら、何やってんだ!」
男は地面に顔を突き付けられたまま動こうとしない。辺りが騒然となった。
「こら署まで来い」
包丁を持っていた男は地面に顔を伏せられたまま後方に手を回され手錠をかけられた。昭雄と真一は驚いて、その場から二メートル程、離れた所に立ったままだ。
「志賀さん、怪我はないですか」
聞きなれた声に昭雄は横を向いた。井田が立っている。
「い、井田さん・・・」
「大丈夫ですか」
井田の声に昭雄は呆然としたまま立ちすくんだ。

越前海岸3

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