路上記33「数多くのベトナム戦争を取材し生還、現在、80歳の報道写真家は全国を徒歩で縦断-に身が引き締まる

路上記33「数多くのベトナム戦争を取材し生還、現在、80歳の報道写真家は全国を徒歩で横断-に身が引き締まる」
 
 早朝から夜遅くまで1日に移動も含めて約14時間、軽作業とはいえ肉体労働をしながら生活していますが、決して楽ではありません。情けない話ですが、常に何か自分を鼓舞し続けるものがなければ、生活していくことはできないのです。今回はそんな弱い自分を鼓舞する人物の一人、報道写真家の石川文洋さんについてお話します。
 
 沖縄県出身の石川さんは今年で80歳です。20代の時に世界一周を計画し海外に放浪の旅に出ますが、香港でテレビカメラマンとして働いていた時にベトナム戦争を取材したことがきっかけとなり、以降はフリーランスのスチールカメラマンとして1965年からベトナム戦争の取材を始めます。
 
 69年からは朝日新聞出版写真部員として働きはじめ、ベトナムには戦争が終結して以降も取材を継続してきました。そして84年には朝日新聞社を退社してフリーランスの報道写真家として、現在に至るまでさまざまなジャンルの取材を続けています。
 
 石川さんは65歳の時に北海道から沖縄までの日本列島を徒歩で歩きました(「日本横断 徒歩の旅―65歳の挑戦(岩波新書)」。3年後にはベトナムやカンボジアの戦争で亡くなった12人の知人の慰霊をするために四国遍路旅に出発。途中で、心筋梗塞を患いますが再起し、半年後にお遍路巡りを再開し結願を達成します。(「カラー版 四国八十八カ所―わたしの遍路旅」(岩波新書)
 ベトナム、カンボジア戦争当時に死んだ報道関係者は73人で日本人ジャーナリストは15人でした。ほとんどが石川さんの知り合いだったことを考えますと、ご本人がいつ爆撃などで死亡するかも知れないという状況にいたかが分かります。
 
 そして石川さんは今年に80歳を迎え、再び全国横断の旅に出ました。ベトナム戦争を始め多くの写真集や著作がありますが、代表的な「戦場カメラマン」が今年に「ちくま文庫」から発売されました。86年に朝日新聞社から発売された本の再発売です。文庫とはいえ1000ページ近くになる大作です。
 
 ベトナムは現在、経済成長し続けており、日本からも多くの企業が進出しています。しかし、約50年前までは戦下にあったのです。著書にはアメリカ軍に従軍しながらベトナム戦争を取材し、その実態が一人の写真家の目を通して記録されています。
 また戦争の記録だけでなく、沖縄で生まれベトナムに関わり、何度も命の危険にさらされながらも、奇跡的に免れてきた写真家の生き様が垣間見えてくるのです。「戦場に長くいれば戦闘に慣れるという気持ちは理解できない。・・・(中略)特にベトナムの場合は、どこからか突然、銃弾が飛び込んでくるので油断できなかった」と記している石川さんは、少なくとも戦場で7回は命の危機に遭遇しています。
 
 そんな石川さんの全国横断の旅は来年2月に故郷の沖縄がゴールとなります。もちろん、今までに故郷である沖縄や米軍の基地問題についても取材をしてきました。「戦場カメラマン」の「南政府軍海兵大隊従軍記」の中では沖縄戦について、「当時の地獄のような出来事を忘れている人はいない。戦前の人はもちろん、戦後生まれた人々でも、廃墟となった沖縄の土地、現在も続く基地の恐怖という環境の中で生活し、戦争の悲劇を身にしみて感じるようになっている」と書いています。この状況は2018年の今も変わっていないのです。
 
 ベトナム戦争で多くの人の死に接し、自身も何度も命の危険に陥った石川さんは、60代後半で心筋梗塞を患いながらも半年後に復活しました。やはり、常人ではありません。著書の一つ「死んだらいけない」(日本経済新聞社)では、命の尊さと生きることの大切さについても記しています。

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