小説「海に沈む空のように」第34回・何があっても、越前の青い海を走り続ける

前回までのあらすじ
 12月の日曜日に福井で「越前海岸マラソン」が開催された。高田花子や井上妙子が出場するレースに、志賀昭雄は応援にかけつける。しかし、午前九時のスタート直前に昭雄を何者かが襲おうとした。咄嗟に昭雄の警護にあたっていた福井県警の宮川雄二や井田一郎たちが動く。

「宮川がずっと警護していました」
 井田一郎の数メートル先を福井県警の宮川雄二が男を連行していく。
「とにかく、無事でよかった」
「・・・・」
 恐怖心からか昭雄は声が出ない。
「皆には言わんでいいけど。とんだレースになったね。まさか、ここまで追いかけて来るとは思わなったですよ」
 井田が覆面パトカーに宮川が乗車したことを確認した。
「今の男ですか。脅迫文を送ってきたのは」
 声を震わせながら昭雄が声を発した。
「たぶん、ほうやね。これから詳しいこと調べてみんと分からんですけど」
 昭雄の質問に井田が落ち着いた表情で答えた。
「でも、なんで分かったんやろな。志賀さんの居場所」
 井田が独り言のように言った。
「最近、この二週間ほどで何か変わったことなかったですか」
 井田が聞いた。昭雄は緊張したまま、ここ数日の自分の身の周辺のことを思い出す。
「特に・・・・脅迫文が送られてきた以外は・・・・」
 昭雄は再び黙った。
「なんか思い出したら言ってください。とにかく、宮川を尾行させておいてよかったですわ」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
 昭雄はただ頭を下げた。
「花子ちゃんらを最後まで応援してあげてください。今日、自分はここで引きあげますけど。急用ができたとか言っておいてください。自分からもメールは送っておきますわ」
井田が笑顔を見せた。真一は昭雄の表情を見た。
「詳しいことが分かったら連絡しますわ」
 井田はそう言うと駐車場の方に向かった。既にスタート付近に選手たちはいない。レースは何もなかったのように中止されることなく進められている。
「な、何かあったんですか」
 緊張した表情の真一が昭雄に聞いた。
「いや、大丈夫だよ。特に問題ないから。心配しなくていい」
 昭雄はそう言うと真一の車椅子を押した。
「妙子さん、予定通りゴールするだろうから」
 昭雄が言った。
「たぶん、大丈夫だと思います。調子いいって言っていましたから」
 真一が答える。
 昭雄の腕時計は午前十時を少し過ぎたところだ。
 
 妙子は花子と一緒にスタートしてから、花子をリードするように少し前に出た。練習でも同じようにして、妙子はより速い先輩につき、苦しくても先へ先へと進むようにしながら、お互いの走力をつけてきたのだ。
 妙子が3時間台でフルマラソンを走れるようになったのは、つい最近のことだった。弟の真一が足が不自由な分、姉の自分が頑張らなければ、頑張れるところを見せなければいけないと、いつも自分に言い聞かせてきた。
 だから、仕事もできるだけちゃんとした会社に入社したかった。それは、父親の経営する原子力発電関連の会社がいつまで経営し続けることが分からないということにも関係していた。妙子は何となく、そんな社会の流れを早い時期から、妙子は感じていた。父親のことは今も尊敬しているが、自分は自分の道を切り開いていこうと決めていた。
「花ちゃん、少し先に行くよ」
 妙子が遅れ気味になった花子に声をかける。
「オーケー、早いね」
 花子は大きな声を出した。
 
 花子も妙子もマラソンクラブで出会ってから、タイムが早くなった。やはり、何でもそうだが、特にスポーツは優れた人と一緒にいることで、自分の力を向上させることができるのだと実感できた。花子自身もタイムが始めた頃より、ずいぶんと早くなっていたのだ。花子はじょじょに姿が小さくなる妙子の姿を追い続けた。コースは海沿いをひたすら走る。青い秋の海が目前に広がる。
 今年の夏は暑く、台風も多かった。雨も多かった。今年はいつもにない大雪になるかも知れない。でも、今日は晴れた。花子の目の前に大きな海と無限の空が広がり続ける。マラソンを始めて本当に良かったと思う。
 妙子と出会えたことも、自分が病気をしなくなったことも、そして、こんな絶景を見ることができたことも、全てマラソンのおかげだ。日本でもこんなに素晴らしい所はそう多くはないと花子は思う。走りながら、今日も妙子に追いつかないが、それはそれだ。そんなことより、制限時間内にゴールすればいい。
 
 この景色を体験できただけでも自分は幸せものだ。だから、この景色、この風景、この場所が、ずっとこのまま変わらずに、自分たちに見せてくれるよう花子は祈った。大きく深呼吸すると、両腕の降りを早くして、足にも力を入れる。汗が額に流れてくる。足に少し痛みが走る。
「えい、やっ」
 花子は気合を入れなおし、瞬発力をつける。もう、目の前に妙子の姿は見当たらない。やがて右手に大きな岩でできたドームが見えてくる。あの岩の下をくぐるのだ。岩のトンネルのようにできた空洞は長い間、崩れることなく、この海沿いにある。
 何度もこの空洞は車で通ったことがある。疲れたり、毎日の生活が嫌になると花子はこの海に車で来ていた。この海に来れば、全ての気分が和らいだ。嫌気がなくなり、おおろかさを戻すことができる。
 今も今日もそうだ。走るのは辛いが、気分は上々なのだ。福井に育って本当に良かったと思う。自分は一生、福井から離れることはないと思う。どんなことがあってもだ。この海から離れたくないと思う。

マラソン9

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