小説「海に沈む空のように」第36回・襲撃は父親の担当した裁判が原因だった

前回までのあらすじ
 昭雄は「越前海岸マラソン」に出場した高田花子と井上妙子たちを応援する。二人ともゴールした後で一緒に食事に出かけ、そのまま車で福井市内まで見送ると自宅に帰った。自分を襲おうとした男が何者なのか気になっていたのだ。やがて、元刑事の井田一郎から昭雄に連絡が入る。襲撃犯は以前に昭雄の父親・雄一郎が担当した裁判の関係者だという。
 
 殺人事件を起こした犯人の谷川淳一は平成九年当時、自分が経営していた旋盤工の会社に融資を断られた荒町信用金庫の担当者・土井勇を襲うために強盗に入り職員二名を殺害し無期懲役の判決が下されたのだという。裁判官は昭雄の父親である雄一郎だった。
「弟の谷川恭二が今年のお父さんのことを書いた『週刊真実』の記事を読んだらしいです。そこで志賀さんを襲うことを計画したということですわ」
「しかし、どうして自分の居場所が分かったんですか」
「どうも、宅配業者に化けて、お宅の奥さんから住所を聞き出したようです。最近、宅急便でそちらに何か送ってきませんでしたか」
「そういえば、二週間程前に、自分が頼んだ覚えのないコピー用紙が届きました。何かの間違いだと思っていたのですが」
「そうですか、なるほど。ところでテレビは今日は、大きな事件が発生して取り上げていなかったと思いますが、ネット関連はたぶん、これからアップされると思いますわ。あと地元の新聞には明日の朝刊に掲載されますわ。しばらく、マスコミが何かとうるさいかも知れんですが」
「そ、そうですか」
 昭雄は唾を飲んだ。
「もし気になるようだったら、警備に行かせましょうか」
「いえ、大丈夫です」
 昭雄は井田の気配りの良さに感謝した。
 井田の話を聞きながら昭雄は東京の「週刊真実」契約記者の時田治夫のことを思い出した。時田は今回の福井での事件のことを知り連絡してくるだろう。
 高齢者施設でのコンサートを二週間後に控え、昭雄の身辺が慌ただしくなった。まさか身内に対して父親の下した判決を恨み、犯人の弟が自分を襲ってくるなんて想像もできないことだった。自分が怪我することなく無事に帰宅できたことに何よりも感謝した。
 
 井田の警護や福井県警の協力がなければ、今ごろ自分はどうなっていたか分からない。谷川の昭雄の父親に対する恨みは相当だったのだ。人を裁くということが、たとえ相手が犯罪を犯している悪人でも、これほどの影を落としてしまうのかと思うと身が縮まる思いがした。
 
 昭雄は翌日、午前五時過ぎには起床した。東京の家族から昭雄のスマホに連絡はなく、昨日は東京の時子にも陽花にも事件の悪い影響はなく、何も起こらずに無事に一夜が過ぎたようだった。
 スマホのメールを確認し終えた後で、台所に立つと、やかんに水を入れた後でコンロの上に乗せ火をつけた。お湯が沸いたのを確認すると、ポットに移しお茶を炒れた。朝は納豆とみそ汁をおかずに軽く朝食をすます。
 いつもより一時間早く起床した昭雄は、昨日の自分の身の回りに起こったことが気になり、テレビのスイッチを付けた。東京のテレビ局のニュースというよりも、福井の地元のニュースを見られるように、番組を選択しプッシュする。福井新聞には社会面に「越前海岸マラソン会場で暴行事件か」と見出しが付けられて、事件の詳細が報じられている。幸い被害者の名前は掲載されていなかった。
 
 昭雄は自分の名前がニュースなどで報道されることが気になっていたのだ。福井に来てまで事件に巻き込まれるのは、どうしても避けたい。ご飯を食べながらテレビのニュースを見ていたが、新聞同様に昭雄の名前が「越前海岸マラソン暴行事件」関連で報じられることはなかった。
 レース中はそれでも昭雄はレース最後まで花子たちを応援し続けた。自分が身に覚えのない人物から襲われかけるというアクシデントに見舞われながらも、この場から離れたくなかった。
 初めて日本海の海の青さに感激したのだった。この海と空の青さ中にいる自分が、とても小さく思えたのだ。福井に転勤になってから何度か福井の海に来る機会があったが、そのたびになぜか、広大な自然の中で悩み苦しんでいる自分は、ちっぽけな存在なのかと自問自答を繰り返した。自分は東京という都会に生まれ四十歳過ぎまで何の問題もなく順風満帆に人生を過ごしてきた・・・・。
 ビルで囲まれた都会の中で生活することを嫌だと感じたことなどなく、常に多くの人が行きかう山手線圏内で毎日を過ごし、仕事をしながら大学時代の仲間と音楽活動をする。そんな都会の生活が好きだった。仲間は皆、大手企業に勤務するメンバーばかりでプロのミュージシャンとしては成功していなかったが幸せな連中ばかりだ。昭雄もあの事件が発生するまでは幸せそのものだった。父親と妹を亡くしてから、全ての歯車が狂い始めたのだ。
 午前七時過ぎスーツ姿に着替えた昭雄は、アパートの玄関ドアの鍵をかけ家を出た。もう辺りを気にすることなく堂々と車に乗り会社に出勤できる。まだ七時過ぎの福井市内の道は混んでいない。ほぼいつも通りの時刻にヒューネクストのあるビルの駐車場に着いた。そのままビルの正面に入る。月曜日の早朝、昭雄は誰よりも一足早く仕事場に着く。
 いつもなら、清掃員が行きかうだけの早朝のオフィスビルだ。昭雄は中央のエレベーターに乗りオフィスのあるフロアの階数を押した。エレベーターは静かな音を鳴らしながら上に進んでいく。やがてエレベーターが止まった。昭雄はそのままオフィスのある方向に足を向けた。
「だから、もう家に戻ってきた方がいいよ」
 給湯の方から声が聞こえてきた。
「皆、待っているからさ」
「分かったさ。とにかく今は仕事中だから」
 昭雄は給湯室の近くに立った。中には清掃員らしき制服を着た人がいる。そして、もう一人、今日は若い男がいた。
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