小説「海に沈む空のように」第40回・車内で聴いたなつかしい曲、昭雄に蘇る感動

 前回までのあらすじ
 福井市内のスーパーでアルバイトする中井亨は数ヶ月前に家を出ていた。木材所を定年退職し、いつの間にか酒量が増えていた亨は、妻の栄子が脳梗塞で突然に他界してから、息子夫婦との喧嘩がたえなかった。ついに我慢しきれず家を出た亨は、福井市内で一人暮らしを始める。一方、志賀昭雄は老人ホームでの久しぶりのコンサート開催に気持ちが昂ぶっていた。
 十二月第三週の土曜日の朝、昭雄は午前五時過ぎに起床した。この日は約一年ぶりにコンサートが開かれる日となった。東京ではいつもこの時期は、クリスマスコンサートに備え、週末は都内のスタジオに十二時間、泊まり込みでの練習が続いていた。
 
 クリスマスのステージは渋谷区内のライブハウスで、昭雄たちと同じようなアマチュアバンドが集まって、コンサートを開いていた。だから、参加者全員がいつも以上に念入りに練習を重ねた上でステージに上がる。観客にはレコード会社の人間なども混じっていた。だから、皆、自然と熱が入った。
 
 しかし、今年に福井で開催される昭雄のバンドのコンサートは、同業者の集まる会場ではなかった。山間部の老人ホームで開かれるイベントに出場するというものだった。バンド「バード」は結成されてまだ日が浅い。練習不足は否めなかった。
 メンバーは昭雄を含め四人だった。昭雄の取引先であるオバマメガネの岸田典夫がベース、谷由紀子がキーボード、そして岸田の知り合いの林公三がドラム、昭雄がギターを担当する。
 メンバーとは十回程度の練習でステージに立つことになったが、曲が八十年代に人気を誇った三人グループのハイトーンの曲とあって、メンバー全員も早く演奏に入ることができたことが幸いした。演奏曲も四曲、これにオリジナル一曲を含めた五曲だった。
 中でもオリジナル曲の「海華」はコピーではなく、昭雄自身による作詞作曲によるものだ。この曲を昭雄は福井に転勤になってから作ったのだった。
 メンバーとは直接に会場で落ち合う予定になっている。会場は福井県丹生郡の越前町の「愛老ホーム」だ。車のエンジンをふかしながら昭雄は先日に、岸田から聞いた「愛老ホーム」への道のりを頭の中でたどる。国道八号線を武生方向へと走らせる。カーラジオから、玉田浩一の曲が流れてきた。昭雄が実際に会ったことのある歌手だった。昭雄の脳裏にふと東京でのバンド時代のことが蘇ってきた。
 玉田浩二は今までに数多くのヒット曲を作り唄ってきた歌手だ。バンド仲間の紹介で玉田がバンドのメンバー全員を一緒に食事会に誘ってくれたのだ。玉田の他にも有名な歌手との交流はあった。
 昭雄がまだ、高校生だった頃に聴いていた山本京子だ。山本は三十年前に二十歳でデビューし、ヒット曲を何枚か出した後で、数多くのミリオンセラーを出した伊能 雄の編曲を担当したりしていた安田真一と結婚した。以降は地道に歌手として活動を続けている。安田と山本は夫婦でコンサート活動をしていることから、昭雄たちもよくアコーステックな二人のコンサートには出かけたものだ。
 昭雄は音楽があったから自分は生きてこられたと思う。福井に来てから再び、バンドを結成することになったことにも、地方の老人ホームでのミニコンサートとはいえ、今日、こうして大勢の客の前で演奏できるとは夢にも思わなかった。
 今までにも何曲が自分で作った曲はあったが、ベースを担当する岸田がどうしてもオリジナルで一曲、唄を歌ってほしいと言い出したのだ。ステージではキーボードの谷がメインのボーカルとして四曲を唄い、昭雄が一曲を担当する。
 ラジオでは玉田の曲が終わると、しばらくパーソナリティーの話が続いた。次に流れてきたのは、ZOONの曲だ。ZOONのボーカルは女性で、このグループも多くのヒット曲を作った。なつかしい曲が昭雄の車の中に響く。ボーカルの向坂明子は今はこの世にいない。若干、四十歳という若さで白血病で十年前に他界したのだ。あまりにも早い最期に多くのフアンが悲しんだ。昭雄もZOONの曲は好きでよく聴いていた。いや、聴いていたというより、今も聴いている。
 ミュージシャンには三十代や四十代、五十代で他界してしまう人が多い。売れていても、エネルギーを消耗しきってしまうのか、ずっと聴いていたいというファンの想いとは別に、本人はこの世から去ってしまう。そんな歌手たちの曲を昭雄は今でも聴いている。
 
 今、車内で流れている向坂明子の歌声も、昭雄の心の中ではいつまでも響いている。彼女の曲が延々とラジオなどで流されたりするのは、人の心に勇気を与えるからだと昭雄は思う。人をいつのまにか励ましている曲が多いのだ。だから、コンサート会場で実際に曲を聴きたいという気持ちは今もあるが、それは叶わない。そのことだけを残念に思う。誰かカバーして、そして、コンサート会場で唄えばいいんだと勝手に思ったりもする。しかし、それは叶わない
 昭雄の運転する車は国道八号線を降り、老人ホームのある越前町の方へと向かう。国道八号線を丹生郡越前町の方へと車を走らせる。「愛老ホーム」は町内の陶芸村近くだという。陶芸村には全国から来た陶芸家たちが住んでいるらしい。
 昭雄が運転する車は越前町西田中を過ぎる。徐々に周辺に山々が目立つようになる。車内のラジオからは、カニ漁が盛んになり福井地方が本格的に冬のシーズンを迎えたことを告げている。山間部のゆるやかな坂道を上り下りおりしながら、やがて越前町江波を過ぎたあたりで「陶芸村」の看板が見えた。昭雄は信号を左に曲がり、再びゆるやかな坂を下りた。緑は一層深くなり左右には杉の木の大木が幾重にも重なる。
 昭雄は右にハンドルを切ると急な坂道を上に上がった。坂を上り切った地点で広い高原のような所に出た。右手に「愛老ホーム」の看板が見えた。右の方に車を発進させた。辺り一面に芝生が広がった。目の前の駐車場に車を止めた。
 昭雄はすぐに岸田たちの乗るワゴン車を目にした。岸田が昭雄の車に気が付いたのか、ワゴン車から降りてきた。

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