路上記40「太陽がない、夜だけの世界に生きられるか?! ヤフーノンフィクション本大賞『極夜行』で考える極限の世界」

 私たちは意外と日常を当然であるかのように生活していて、その大切さに気づかないことが多いものです。何かを失った時に初めて、その物や事の重要性に気づいたりします。例えば病気をした時には、健康であることの重要性を痛感します。
 実は身体が痛いとか辛いとか苦しいと感じる、我々にとって不快な感覚は、身体の健康には欠かせないことです。先天性無痛無汗症という難病がありますが、これは痛みを感じず汗もかかない病気です。自分が痛みを感じないので皮膚の病気や骨折が多発するといいます。つまり、日頃に嫌だと感じている痛みや、苦しみの感覚がなくなると、とんでもない状況に陥ってしまいます。ですから、生きていることは苦しいという証拠でもあるのです。
 さて、日本人の生活習慣では朝と夜が定期的に来るのが当然という感覚でいますが、地球上には、この朝と夜が不定期な間隔になる地域があります。つまり、一定期間に朝と夜がこない日常で暮らさなければいけない人々がいるのです。我々がよく聞くのが白夜で、これは太陽が沈まない現象です。主に北欧諸国やグリーンランド、ロシア北部、アメリカ・アラスカ州で見られ、期間は地域によって異なりますが、1か月から4か月にわたって発生します(ウィキペディア)。
 この逆の現象で太陽が登らない現象が極夜(きょくや)です。「極夜行」(角幡唯介著、文藝春秋)は極夜の地域を約4か月にわたり探検したノンフィクションで、今年の11月8日に「ヤフージャパンニュース本屋大賞 ノンフィクション本大賞」を受賞しました。著者の角幡唯介さんは、「謎の渓谷」とされてきたチベットのヤル・ツアンポー渓谷を二度にわたり探検しルポした「空白の五マイル」が開高健ノンフィクション賞を受賞した冒険家です。
 「極夜行」ではグリーンランド北西部のシオラパルクに拠点を置き、犬とともに2016年6月から約4か月にわたり太陽の登らない極夜地帯を冒険。シオラパルクを出発以降はツンドラ中央高地を抜けアウンナットを通り、セプテンバー湖付近の楽園谷までを探検し続けました。この地域にはシロクマやセイウチなど人を殺す生物たちが生息していることから、橇(そり)を引く労働だけでなく、人の数倍もの危険察知能を持つ犬の同伴も欠かせない存在となりました。
 角幡さんはこの冒険慣行までに、2012年12月の実験行も含め4年の歳月をかけましたが、探検を開始する2か月前には、アウンナットに設置していたデポがシロクマに荒らされるという災難にも遭遇したりしました。
 また2014年にはグリーンランドで偵察行も実施していますが、この偵察行は妻の出産に立ち会うために延期されて行われました。「男という生き物は外側の自然に冒険やロマンを求め、そこに人生の意味等を投影しがちだが、それも結局は女のように、妊娠出産を通じて肉体の内側でリアルな自然、リアルな生と死を経験できないからではないか。(中略)。出産は一心同体の半分たる妻の、いわば人生の最大の冒険であり生命普遍の神秘。それをスルーするのはちょっと考えられない」
 角幡さんは奥さんの長い陣痛の苦しみの果ての出産を見届けた後に、偵察行にグリーンランドに出発しましたが、もちろん、本番の冒険も困難の連続でした。まず、太陽が昇らない暗闇だけの空間で生活するようになり、当初は「極夜病」にかかります。これは関心の欠如や不眠、かんしゃくなどの心理的病状を特徴とする病です。
 そして、探検の間に闇を長く経験し続けることで、「光がないと、心の平安の源である空間領域におけるリアルな実態把握が不可能となる。(中略)。闇に死の恐怖がつきまとうのは、この未来の感覚が喪失してしまうからではないのだろうか」と考えるようになります。以降も冒険は続き、アウンナットを出発する頃には闇の空間に月が出始めるのです。「久しぶりの月光が照り輝き、世界は一気に息を吹きかえした」
 以降も闇の中でブリザードに張り裂けそうになりながらも歩き続け、やがて巨大な太陽と遭遇するのです。同著の最終箇所で角幡さんは、妻の出産に立ち会った時の自分自身を思い出し、このように綴っています。「人間にとって光とは出生経験の再来であり、不安と恐怖からの解放であり、だからこそ希望の象徴にもなっているのだ。光に無言の憧憬をおぼえるのも、世界中の神話で闇と光が死と再生のモチーフとして語られてきたのも、太陽が再生の神なのも、すべて出生時の壮大な光景とインパクトの記憶が、人間の精神と肉体に刻み込まれているからにちがいない」

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