NOVEL「闇が滲む朝に」 第1回「真っ直ぐなレールから脱落し、闇を歩いていた」

 ふと気が付いたら、自分は真っすぐなレールから脱落し闇を歩いていた。
 仕事も変わり、生活ペースも変わり、行き交う人も会う人も、全てが今までとは違っていた。 変わらないのは、同じペースで長年にわたり息をしている自分自身だけだ。
 こんな自分に付き合ってきて、もう数十年が過ぎた。どんなに回りは変化しても自分は変わる気配がない。こうして何十年も、自分自身と向き合っている。
 どんな状況になろうが、闇を歩こうが、いいではないか。そんな自分に付き合っていこうじゃないか。今度はどんな出会いがあるだろう。楽しみじゃないか・・・・・。
 何よりもこの世界で生きること自体が冒険なんだ。

 金曜日の午後三時過ぎ、片山二郎は●●●駅のホームに降りるとそのまま駅近くのそば屋に入った。券売機でかけそばとおにぎり、そしてコロッケのチケットを購入しカウンターで注文する。今年に入ってこの店がオープンしてから片山は遅い昼食をここで食べるようになった。それまではコンビニエンスストアで昼食を購入して食べていたが、さすがに一年間も同じ店で弁当やパンなどの食事を購入し続けてくると飽きてくるものだ。
 元来、そばやうどんなどの麺類は好きな方だから、基本的にそば屋のメニューは飽きがこない。片山は注文したそばとおにぎりを片隅のテーブルに運び座った。この時間帯は店の中にはほとんど客はいない。たまに客がいても学生や主婦と見える客が食事をしている程度だ。ようやく片山は目の前のそばを口にしながら安堵する。
 清掃の仕事に就いてこの夏で二年目を迎える。それまでは編集プロダクションで仕事をしていたが、転職の失敗から片山の人生は暗転した。三六○度に生活環境は変わり肉体労働者として生活するようになった。ハイクリーンとアイ・クリーンサービスという二社で清掃の仕事をこなすフリーターとなった。全く今まで経験したことのなかった仕事に就くことになったのだ。
 仕事の時間は長くなり、その分に睡眠時間は短くなった。早朝の午前三時に起床し帰宅は午後八時三○分過ぎになる。片山は常に目の下に隈ができるようになった。それでも睡眠時間は最低六時間はとるようにしていた。自宅で約五時間と電車の移動で約一時間の合計六時間だ。パソコンを前にしたデスクワークの多かった前職までと比較し一日十四時間近く身体を動かす生活になった。
 この生活は三五歳過ぎからマラソンをやってきたがゆえに可能となったと片山は思う。二○年近くは走ってきて本当に自分はよかった。マラソンを通じて身体を鍛えてきたことが今の自分を支えている。今も片山は毎日、マラソンの練習をしている気持ちで仕事をしている。そう考えることが辛い日々の中で微かな生き甲斐につながるのだ。

 もう泣き言など言っていられない。ただ前を向いて歩くしかない。自分は五○歳を過ぎて死んだのだ。そして、新しく生まれ変わった。もうそこには過去の自分はいない。だから何事にも否定せずこだわらずに全てを受け入れていく。
 昼食時間が遅くなることから、十二時頃には空腹で倒れそうになったことがある。極度の疲労から食事を終えたばかりの夕方四時には人と会うのが嫌になり、他人の話がとてもうるさく感じることもある。人の話しかけてくる言葉に反応できなくなることも多い。それでも一時間後には胃の消化活動が落ち着き、朝から昼にかけての疲労はピークを過ぎる。  

 清掃の仕事は主婦が得意とする仕事というイメージが強いが、決して楽な仕事ではない。片山はオフィス清掃に就いたが、ゴミの回収や掃除機かけは日常的な仕事で、これは毎日に行うものだ。一方、週末や深夜に行う定期清掃では多くの特殊な機械を使う。例えば床の汚れをとるポリシャーなどは非常に重い機械で運ぶだけでも力を使うのだ。
 また片山のように長時間に働く場合は、その分、疲労も高まる。一般的に考えて肉体労働は三時間程度がちょうどいいのだ。慣れない生活に疲労が溜まり、真っ直ぐなレールから何か脱落したようで気が遠くなる。
 清掃の仕事も建設現場で働く肉体労働同様に一歩、間違えば大けがや命を落としかねない。ガラス清掃などは、ほんの少しのミスが死につながるのだ。多くの肉体労働は常に死と隣り合わせにある。片山がこれまでの生活から三六〇度違う生活をおくるようになって感じたことだった。

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