BOOK.48「『ちょっちゅね』でバラエティ番組で人気の具志堅用高が、ボクシング世界王座13回防衛記録を達成できた闘志の理由」

 1月20日(現地19日)にアメリカのラスベガス・MGMグランドガーデンアリーナで開催されたWBAウエルター級タイトルマッチは、王者のマニー・パッキャオ(6階級制覇王者)が挑戦者でエドリアン・ブローナー(4階級制覇王者)を3-0の判定で破り初防衛に成功しました。

 パッキャオは39歳でボクサー年齢としては高齢にもかかわらず、今回の勝利となったのです。この闘志(ファイティングスピリッツ)にボクサーのみならず、多くの人々が感銘を受けていると思います。なぜ、現在は政治家でもあるパッキャオはボクサーとして奇跡的なファイトを続けられるのでしょうか。やはり、幼い頃に育った環境は否定できません。

 パッキャオはフィリピンの南部に位置するミンダナオ島の出身です。
 天野は若い頃にNGOの仕事で同地を訪れたことがあります。パッキャオが6歳の時です。国際的テロ組織が拠点を置く地域で最近では2年前にイスラム過激化組織に呼応したグループの活動が活発化した時期がありました。現在の様子は分かりませんが、当時はフィリピン自体の治安はあまり良いとはいえず、ミンダナオに限らず、いつ、どこでも山岳ゲリラや窃盗集団に襲われる危険はありました。

 しかもパッキャオは「近くには店も何もない地域で」i家は貧困の中で育ち、自宅近くで行われる闘鶏(脚に刃物を付け雄の鶏同士を闘わせる競技。当時はフィリピンの各地で行われていました)を見ながら、強くならなければ自分は殺されると自覚したといいます。強くならなければ殺される・・・・この恐怖心がパッキャオを偉大なボクサーに成長させたのです。

 パッキャオの偉大な姿を見ながら天野は一人の日本人ボクサーのことを思い出しました。100年に一人の逸材と言われた具志堅用高さんです。「ちょっちゅね」と言えば、誰もが具志堅さんのことを思い浮かべるのではないでしょうか。今もテレビで皆を笑わせる子供から大人までに人気のあるタレントですが、ボクシングのライトフライ級世界王座13連続防衛の日本記録保持者だと知る人は少なくなっているかも知れません。

 天野は具志堅用高さんの試合を見ながら甘く苦い青春時代を過ごし、やがて大人になりました。一度も試合を見なかったことはありません。具志堅さんの活躍に感動し、何度も奮起したか分かりません。当時の日本ボクシングは世界チャンピオン不在の期間が長く具志堅さんは救世主となったのです。現在、天野もたまに見るのですが、具志堅さんの闘いの記録はDVD「具志堅用高 世界タイトルマッチ全15戦」第1部(載冠)と第2部(燃焼)で見ることができます。

 13度連続防衛の記録は現在も破られていません。いかに具志堅さんが偉大なボクサーであるかがうかがえます。防衛記録の長さ同様に人気タレントしての活躍も長いですね。タレント活動だけでなく、ボクシングジムも運営し、2017年には弟子の比嘉大吾選手がWBC世界フライ級王者になりました(3度目の防戦戦でウエイトオーバーが原因で防衛戦に失敗)。

 パッキャオと具志堅さんの共通点ですが、具志堅さんも日本の南部に位置する沖縄・石垣島の出身です。「負けたくなかった~具志堅用高、波瀾の半生を語る~」(具志堅用高、西田浩著、中公新書ラクレ)では誕生から現在までについて、具志堅さんが当時の状況や気持ちを話しています。

 生まれた当時の石垣島には車もなく、信号や街灯もありませんでした。生活は漁業や農業が中心の島でした。そして、沖縄には現在も米軍基地が存在し、戦争の記憶が色濃く残る地域であることは誰もが認めることです。

 そして具志堅さんは全盛期にあった時でさえ、試合前は不安に襲われ、何度も自分が倒された夢を見て、叫び声を上げて夜中に跳び起きたと話しています。そういえば、自分がKOで相手を倒しても、真っ先に歓喜の表情を浮かべる選手ではありませんでした。左手か右手と首を左右に振りながら、レフリーから勝利コールを受けている試合が多かったですね。

 ノンフィクション作家の佐瀬稔さんは、当時の現役時代の具志堅さんの様子を「試合に勝って晴れ晴れと笑う彼の顔を見たことがない姿ばかりが印象にある。(略)。つまり、彼は恐怖を見たからではないのか。リング上、具志堅の目は強く美しい光を放っている。深い深い恐怖という真実を見届けた輝き、とうつる。彼はその輝きゆえに、攻撃を、戦いをやめることができないのだ」

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