NOVEL「闇が滲む朝に」第6回・辛い仕事が自分を研磨し鍛える

 清掃の仕事に就いた片山二郎は一日に平均三時間帯~四時間帯で仕事をするようになった。移動も含めると一日に十五時間は身体を動かしていることになる。三十代後半からマラソンで身体を鍛えてきたとはいえ、疲労がピークを迎える夕方には人と話すことも嫌になる。辛い仕事は自分を鍛えるのだ、片山はそう言い聞かせながら疲労のピークが過ぎるのを待った。

 片山はもう自分は清掃マンとして生活していくのだから、仕事環境の劣悪さなどでいつまでも愚痴を言ってもいられないと思うようになった。仕事に就いた当初は暗い雰囲気に感じた職場も若い矢野が主任になってからだいぶ、ここの仕事場の雰囲気も変わったのだ。

 都心のビルの仕事が多い大手の清掃会社では比較的、働く従業員の平均年齢が若いが、ハイクリーンは高齢の人が多く働いている会社でもある。都心から離れているビルの清掃には地元の主婦や定年を迎えた年齢の人が働く場所でもあるからだ。

 
 片山は夕方の仕事は帰りが遅くても自宅に近い地元がいいと考え、当初に夕方四時から八時までの清掃を募集していたハイクリーンの仕事を決めたのだった。清掃は週末以外の平日は早朝か夕方以降に仕事が集中する。オフィスビルでは多くが仕事が始まる前か終わってからが、清掃の仕事の時間帯になるからだ。午後八時までの仕事を都内で終えてからでは、●●●の自宅に戻るのは午後十時近くになってしまう。
 
 清掃の仕事を始めた二年前、片山は地元のツキノワグマビルでは早朝からの仕事に入れない状況だった。ハイクリーンではなく、大手の清掃会社で午前六時から都内で働いていた。そして昼は飲食店で別のアルバイトをやり、夕方からハイクリーンで自分の住む地元のオフィスビルで仕事をしていた。
 
 都心で午前六時始業の仕事に間に合うようにするには午前四時には自宅を出なければいけない。起床は午前三時だから、夕方から入る仕事は地元のビルに限る。自宅から自転車で三○分程であれば、午後八時に仕事が終了しても三○分過ぎには帰宅できるからだ。
 この早朝の仕事は都心、夕方の仕事は地元の仕事場という状況は、以降も変わらず片山の仕事時間ということになった。
 
 三年目を迎えた早朝の仕事場は都内でハイクリーンでの仕事に変わった。ハイクリーンの常務の時田庄一から頼まれ、午前五時半から都内のツキノワグマビルで働くようになった。十時からの仕事場の近くにそのビルがあったからだ。朝、昼、晩と3時間帯で働く時間帯は変わらないから、決して楽ではないが仕事を継続できない環境ではない。暗黒の気分の中にも少しずつ片山は光を見い出そうとしていた。

「給茶機はいつも通りでお願いね」
 事務所で矢野が熱帯魚に餌をやりながら言った。
「了解です。そろそろ出かけるかな」

 片山の夕方の仕事はお茶の自動給茶器のお茶と水の補充に清掃、そしてビル内の各フロアの掃除機掛けとゴミの回収になる。平日の午後四時頃には疲労はピークに達し、人の顔を見るのも話すのも嫌になるのだが、唯一、仕事内容がそれほどハードではない分は助かっていた。

 しかし、金曜日の夕方は転職する前までに感じていた明日の土曜日から二日間は休めるというウキウキした感覚は現在の片山にはない。金曜の夕方、疲労が蓄積している肉体はただ重い。特に週末前で普通はホットするこの時間帯は、片山は疲労がピークを迎えるのだ。肉体労働による肉体の疲労というのは、とにかくうれしいとか楽しいという気分を自分が感じることができない状態になる。

 何か病気をしたのではないかと感じる辛い感覚が自分を襲ってくるのだ。清掃の仕事に就いた始めの年は、昼間に飲食店でアルバイトをしていた関係上、昼時前後が仕事になり、夕方からの清掃の仕事に間に合うように昼食をとらずに生活していた。その方が夜に食事を食べられるという楽しみが増える分、自分にとっては良い状況になると考えていたのだ。


 昼食を抜くことで体力は奪われ、その年の八月には風邪をこじらせ、約三週間近くも風邪が治らなかったのだ。肺炎だった。三十代後半から風邪などひいたことがなかった片山はショックを受けた。マラソンで鍛えていたはずの身体だったが、一日十二時間以上の肉体労働は今までにも経験したことがなく、それまで自分の好きな仕事しか選択してこなかった片山には、どう工夫しても、多大なストレスを感じざるを得ない生活が続いた。

 都内二か所と、そして地元の●●●で仕事をしていた片山は、通勤電車の中ではひたすら眠る生活者となった。スマホを見ることも本を読むこともできないほどに身体が疲労し睡眠を欲するのだ。そしてその状況は今も変わらない。


 朝と夕方にハイクリーン、昼の時間帯にアイ・クリーンサービスで清掃の仕事ができるようになったとはいえ、朝から引き続き昼食の時間帯もひたすたら身体を動かし続けるという生活は普通ではない。ただ、午前十時から午後二時までの仕事が終了して地元に戻った時点で食事をとるようになったから体力は維持され病気はしなくなった。
 とにかく病気やケガで仕事を休むことは許されない。その分、収入が減り自分が生活できなくなるだけなのだ。


 自分は仕事で鍛えられている、三十代後半からマラソンで鍛えてきた片山は、そんなことを自分に言い聞かせながら、疲労のピークが過ぎるのを待つ。給茶機補充を終え、バキューム(掃除機)で廊下の清掃を終了すると片山は事務所に戻った。

「二階の給茶機はなかった?」
 帰り支度を始めている矢野が声をかけてきた。矢野は早朝の仕事で欠員が出たため通常より一時間早い午前四時から出社しており、夕方は午後五時には退社する。

「大丈夫だね。この前に水漏れがあった箇所も今は漏れていないようだしね。タンクに水もそれほどには溜まっていなかった」
 片山は手袋を脱ぐとテーブルの上に置いた。

闇朝6そうじき 3

 

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