NOVEL「闇が滲む朝に」第7回・自分を超えた不思議な存在との遭遇

 片山二郎は二十五歳の時にハードワークがたたり過労で倒れ一週間ほど入院、三五歳の時には会社が倒産するなど、これまで何度か人生の挫折を経験してきた。泥沼に落ち込んだような気分を味わってきたが、不思議だったのは、そのたびに自分を超えた存在の力に助けれてきたことだった。決定的な出来事は東日本大震災が発生する前年に、自分を抜け出す経験をして未知の存在に遭遇したことだった。


「かたやまちゃん、悪いんだけど新しいバキュームのホースが三本、届いたから夜掃の人たち用にセッティングしてくれるかな」
 矢野は新しいバキューム(掃除機)のホースを中央テーブルの隅に置いた。夜掃班のバキュームのホースが何度も切れるたびに片山は修理してきたが、短いホースが多くなったことから新しい商品を注文していたのだ。

 片山は手持ちのペットボトルのお茶を飲み終えると、さっそく古いホースの両端の留め口を取り新しいホースにはめ込み始めた。
「おはようございます」
 片山がホースをセッティングしていると、夜掃では最年長で今年で七○歳になった井田やすこが事務所に入ってきた。井田はいつも始業一時間前に事務所に到着する。ハイクリーンでは定期清掃など業務用の仕事をこなすスタッフ以外では比較的六十歳以上の従業員が多い。

 片山が入っている夜掃の仕事場にも六十歳以上のスタッフは多い方だった。都心のオフイスでは二十代や三十代の若い清掃スタッフが多いが、都心から離れた区域の清掃現場では、夕食の少し前に時間のあく主婦が小遣い稼ぎをする。夕方四時以降から三~四時時間の仕事という内容からも、おのずと正規の職を離れた六十歳以上の人や主婦の清掃員が多くなる。井田はその中でもハイクリーンで長く仕事をしている方だ。

「すみませんでしたね。お休みいただいて」
 タイムカードを押す前に矢野に井田が頭を下げた。
「大変だったね。もう大丈夫なの」
 矢野が熱帯魚に餌をやりながら聞いた。
「前から悪かったから、もう逝くのが近いのもわかっていたの」
 井田は一昨日に兄が他界したことから二日間、仕事を休んでいた。
「どこが悪かったの?」
「肺のほうがね。前から悪かったから」
 気丈な井田はいつも通りの笑顔混じりの表情で答えた。矢野も片山も詮索することなく、片山はただホースをセッティングしなおした。
「葬式もこっちでやるの」
 井田は鹿児島県の出身だが、姉以外の家族は既に東京で生活している。
「お墓は鹿児島にあるから、向こうでね」
「鹿児島でやるの」
 矢野がテーブルに座った。
「そう、だから今回は火葬だけしてね」
 井田がいつもの笑顔を見せた。

「納骨は向こうになるから。申し訳ないんですけど九月の十六日から一週間、仕事を休ませてほしいんです」
 井田が頭を下げた。
「いいよ。十六日からね」
 矢野が壁のカレンダーを眺めた。井田は一人暮らしの姉が鹿児島で暮らしているから、連休などに鹿児島に帰省することが一年に数回ある。しかし、一週間という長期の休暇をとることは今までになかった。

 片山は以前にある人から、「五十歳を過ぎたら自分の墓をどこに作るかを考えなければいけないんだよ」と教えらえたことがある。人生半ばにきたら自分の死に場所を考えなさいということだ。これは自分がどう死んでいくかを考えなさいということでもある。生きていくだけでなく自分がどう死んでいくかを・・・。

 そういえば仕事が変わってから、話す人たちが変わったことも事実だが、その年齢層の高さから、人が死ぬ、他界するということがより身近になった。井田のように仕事をしている人たちに他界したり、病気で入院したという話を頻繁に聞くようになったのだ。もちろん、逆に七十歳になっても八十歳になっても元気で仕事をしている人にも多く会うようになり、そんな元気な老人たちに励まされることも多々あった。

 片山本人も四年前に父親が他界したのだった。いつまでも人は若くなく年老いていく。自分もいつのまにか人の死を身近に考える年齢になっていた。もちろん、それは他人事ではなく、自分自身のことでもある。正直、自分自身、この二年間は疲労から何度も自分が死ぬのではないかと精神的にも肉体的にも打ちのめされる経験をした。そのたびに自分は壁を乗り越えてきたと何度も自分に言い聞かせ鼓舞してきたのだ。

 片山は二五歳の時に当時のハードワークが原因で高熱にうなされ一週間入院したことがある。また、三五歳で会社が倒産、四一歳の時には仕事が順調に進まず、酒を飲み過ぎ酔って精神的に不安定になり、両親と大喧嘩したこともあった。
この時は自分の不甲斐なさを泥沼にひきづりこまれたような感覚に陥った。

 こうして片山は何度も人生の大海に沈みかけてきた。しかし、そのたびに、ある「存在」の力に助けられながら。皮肉にも、自分を超えた「大きな力の存在」を確認したのがこれら災難の年で、存在を決定づけさせたのは東日本大震災が発生する前の年だった。この年には片山は自分が肉体から抜け出す経験をし、超次元の存在たちと遭遇したのだ。
大きな存在2
 
 
 

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