NOVEL「闇が滲む朝に」第8回・破天荒に生きてきたタフな男たちの屈託のない笑顔

 片山二郎は社会に出てから何度か窮地に追い込まれた経験があったが、そのたびに自分を超えた異次元のある存在と遭遇した。その存在が何かを正確に知ったのは、50歳前のことだった。一方で仕事を変わって以降、忙しくなり厳しい現実に潰されそうになるなかで、片山の目の前に現れたのは、破天荒な生き方をしてきた屈託のない笑顔の男たちだった。
 
 片山が大きな力に自分は守られていると実感したのは四一歳の時に、冬山へ一人で出かけた時に遭遇した「ある存在」とのコミュニケーションだった。標高六○○メートルの山の頂上付近で、突然に浮遊し目の前に「女神のような存在」が現れたのだ。この時も仕事のことで精神的に悩んでいた頃だった。
 
 この経験により片山は自身を探求しはじめ、社会に出てからの何度かの遭遇経験や、その時の経験が何かを把握し、時折、遭遇する異次元に住む存在が何かを確信させる契機になった。だから、この二年間の苦しい経験は自分をもう一段、引き上げ成長する経験だとどこかで感じている。
 
 ここしばらくは日常の生活が忙しくなりすぎ、以前のような瞑想時間を持つことができないのだが、自分を守る大きな存在がいるという確信が揺らぐことはない。辛くなればなるほど苦しくなればなるほど、大きな存在が近くにいることを実感するのだ。それは今までに超次元ではなく現実の次元で自分が目の前で経験していたことでもあった。

 清掃の仕事は苦労の多い仕事だというのがこの仕事に係る多くの人たちの本音だろう。人が汚す空間や物を処理していくのだから当然といえば当然なのだ。しかも定期清掃以外の朝や夕方の仕事は一人でこなす仕事であり、同じ職場に気の合う人がいなければ一日中、ひたすら身体を動かし続け、誰とも話す機会のない仕事でもある。加えて人が嫌がる仕事にもかかわらず職種としては低い位置にある。
 
   自分の疲労困憊で生活が暗転していく中で精神状態が落ちこんだ時、片山は二十代に遭遇したインドで活躍した聖者のことを思い出す。彼女はインドという灼熱の地で死があちこちに蔓延する空間の中で、イエス・キリストの存在を確認し、その地で一生を過ごした。どぶ川でおぼれ死にかけている人に手を向け、そこにキリストの姿を見い出すのだ。そして聖なる存在は時に肉体労働者の近くに宿るともいう。
 
   この状況とは全く違うが確かに片山は、疲労困憊の中で周りの肉体労働に従事する人たちに、自分は助けられたと実感することがたびたびあった。それは何か壁を取っ払った、くったくのない笑いだ。ハイクリーンの矢野順平の存在もそうだが、もう一人、朝掃で仕事をする高戸明もよく笑い、人を笑わせる男なのだ。矢野は職人的生き方を目指しており、高戸は元畳職人という肩書を持つ。
 
   この二人の男の生き方は決して普通ではない。どちらかと言えば破天荒だ。何よりも片山が感心するのは、その気性の荒さだけでなく力があるということだった。つまりパソコンなどは操作しないアナログ派だが、何かと精神的にタフだという、片山とは一八〇度違う性格をしている。
 
 自分が笑うということは相手も笑いやすくなるということだ。何か疲労で生きるエネルギーを完全喪失しそうになる片山を再起動させてきたものは、この二人が醸し出す笑いのエネルギーだった。やはり人は笑うことで意識や身体を回復させることができる。どんなにつらい状況でも乗り越えることができる。唯一、笑うことのできる生き物が人間なのだ。二人といることで片山はリラックスし本来、自分の持っている力が発揮されるようになったことは言うまでもない。
 
   高戸がなぜ、こんなにも精神的にも肉体的にもタフなのか。十代からの丁稚時代が高戸を強くさせていた。高戸は畳職人として生計を立てるために十三歳で丁稚奉公に出た。そこは幼い高戸にとって地獄の生活だった。睡眠時間は四~五時間程度で、食事は満足には食べられない。しかし、丁稚としての仕事は多く休めない。実家に帰るのは年に正月とお盆だけ。
 
 トイレの汲み取りから風呂清掃、食事の準備まで畳の仕事以外にあらゆることをやらされた。盲腸で入院しても三日で退院し丁稚の仕事が待っていた。一日でも早く実家に戻りたかった。そんな幼少期の生活経験が本人を強くさせていったのだ。一人前になっても車に乗る前までは一人で何枚もの畳をリヤカーに乗せ運び続けたという。
 
    片山は清掃の仕事を始めて以降、今の生活を送るようになって、ひたすら日に十二時間以上も身体を動かし続けることがこれほどに辛く苦しいものかと実感している。仕事内容はもちろん、人間関係から周りの環境まですべてが変わったのだ。
 
 何よりも睡眠時間が五時間半ほどで身体を動かし続けるという現実に自分は潰されそうになり、とにかく辛いという自我を消さなければ仕事をこなしていくことができない。自分に自我が存在する以上、なかなか、この現実を受け入れることができずにいた。
 
 矢野も高戸も片山の働きぶりには感心するほど、一日の仕事の時間量は通常の人の平均値を大きく超えていた。唯一、救われていたのは、片山がこの仕事を自らが選んでいると意識していることだった。辛ければ休めばいいのだ。しかし、給料も減る。
 
    過労死する多くの人々は仕事の量に圧倒され、精神的に追い込まれ鬱病となり自らが自らでなくなってしまう。そして悲しくも命を絶つ行為に走ってしまうのだ。今も多くの過労による自殺者が後を絶たない。いつの時代も経済至上主義は殺人行為をためらわない。武器は持たなくとも戦争は今も続いているのだ。
 
   スーツを着なくなって二年が経過し、普段着の生活が当たり前になった片山は、そんな中で時折、自分が透き通ったような存在になり、そのたびに月や緑の木々、太陽に吸い込まれるような感覚になることもあった。しかし、仕事が辛いのは自分だけではないのだ。誰も清掃の仕事を楽しんでやっている人間はいない。皆、生活資金を稼ぐために日々の辛い仕事に精を出しているのだ。

「お疲れさん」
 仕事を終えた高戸が事務所に戻ってきた。最近、高戸は朝の 七時から午後三時三十分まで仕事をしている。通常は午後三時までだが忙しくなると残業時間も増えてくる。
「お、かたやまちゃん、これからかい」
「高戸さん、お疲れさまです」
 片山は笑顔であいさつした。
破天荒な男1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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